関東最古の神社 鷲宮神社⑤ 鷲宮催馬楽神楽(土師一流催馬楽神楽)

鷲宮神社の鷲宮催馬楽神楽(さいばらかぐら)をご紹介

御祭神
御祭神(※鷲宮神社ホームページまま)
天穂日命(アメノホヒノミコト)
武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)
大己貴命(オホナムヂノミコト)

らきすたや御祭神の天穂日命など、興味の尽きない鷲宮神社ですが、実は他にもすばらしいものがあります。

それこそが
鷲宮催馬楽神楽です。

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鷲宮催馬楽神楽(土師一流催馬楽神楽)

正しくは土師一流催馬楽神楽だそうです。
土師氏の名前がここにもあります。
以下、長いですが。

 鷲宮の神楽が書物に登場するのは、『吾妻鏡』の建長3年(1251)の記事であり、鷲宮神社の神前で神楽を行ったところ見事な託宣(神のおつげ)が現われ、祈願が成就したといいます。しかし、この神楽が今に伝わるものと同じであるかは明らかではありません。
この他にも神楽を知る上で貴重な書物が残されています。一つは、享保11年(1726)、大宮司藤原国久の筆写による『土師一流催馬楽神楽歌実録』です。これには、神楽の中で歌われる催馬楽などの歌詞や神楽で使われる衣装、持ち物などが詳しく書かれています。
もう一つは、天保年間(1830~1843)に鷲宮神社の大宮司藤原国政が記した『鷲宮古式神楽正録』の写本で、神社の由来や神楽の詳細な内容が書かれています。これによると、藤原国久が廃れた祭祀を再興しようと「当社奥秘を社人に伝授」し、宝永5年(1708)に十二座神楽を行ったことがわかります。
これらの記録などから、現在の十二座の神楽が編成されたのは、宝永5年~享保11年頃、今から270~290年ほど前のことであったと推定されます。
なお、この神楽は、関東神楽の源流といわれ、江戸の里神楽の基礎を形成しました。『海録』(19世紀前半)という書物によると、当時江戸で行われていた十二座の神楽の原形に、「土師の舞」と呼ばれるものがあり、これは17世紀の後半頃江戸に入ってきたものであることがわかります。この「土師の舞」とは、十二座に編成される以前の鷲宮神社の神楽のことでありました。このことは、『鷲宮古式神楽正録』に書かれており、鷲宮側でもそのことが伝えられています。

鷲宮神社ホームページより引用)

ちなみに東武伊勢崎線の鷲宮駅のロータリーには

このような看板があります。

ちなみにこちらの鷲宮催馬楽神楽ですが、本殿(拝殿)の向かいにある舞殿で執り行われます。
本殿の神様に捧げる舞なので当然と言えば当然なのですけど。

鷲宮神社の舞殿

清々しいほどの逆光です。
やむを得ません。

舞殿にはこれらのような額が収められています。

鷲宮催馬楽神楽(2016年)のご紹介

どうしても神楽を見てみたい!
と思い立ち、2016年に鷲宮催馬楽神楽を見せて頂きました。

少ないながら写真があるので、ご紹介です。
(2016年12月5日の撮影)

このような感じです。

きっとこのような感想をお持ちになられたことでしょう。

おじさんたち舞殿に近すぎません?

ぐいぐい行ってましたよ。
そのため厳かな空気とかは皆無でした。

もっとも現代の鷲宮催馬楽神楽は
神事というよりは伝統を伝える意味合いが強いように見受けられました。
少し残念な気もしましたが、それが現代の神楽の形なのだとすればやむを得ません。

昨今では神楽を見る機会もあまりないかと思います。
埼玉県にある鷲宮神社はいまでも神楽を残してくれています。ありがたい。

たいへん貴重なものですので、機会があればぜひご覧ください。

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