秋葉原の神社② 神田明神に参拝

電気街の近くにある神田明神に参拝

御祭神
一の宮 大己貴命(おおなむちのみこと)
二の宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)
三の宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)

東京ってところは不思議なところです。
賑々しい秋葉原の電気街があるかと思えば、そこから徒歩5分ほどのところに神田明神があるのです。
しかも東京のど真ん中だというのに、境内はかなり広い・・・。

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神田明神へのアクセス

〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16−2

JR秋葉原駅から徒歩10分程度
JR御茶ノ水駅からだと5分程度

秋葉原の電気街を抜けると景色が変わります。
電気街を抜けて少し坂を登ったところに神田明神があります。

いざ神田明神に参拝

神田明神の大鳥居。

大きいですな。

大鳥居の参道の両脇には飲食店が構えています。
神田明神の参道の飲食店は、どこか独特の雰囲気を持っている気がします。

参道を進むと立派な楼門があります。

隨神門です。
こちらにはいろいろな趣向が凝らされています。
詳細は神田明神のホームページをどうぞ。

隨神門の左手には

ハイテクな手水舎があります。
もはや柄杓はなく、自動で水が出てきます。
前回参拝したときは境内に手水舎があったのですが、そちらは使用中止になっていました。

隨神門と手水舎の間に

由緒書きがあります。
詳細は神田明神のホームページをどうぞ。

隨神門をくぐると、

境内が広がっています。
広い・・・。都内の一等地なのに・・・。

写真だと分かりづらいですが、とても広いです。
ちなみに前面ののぼりはアニメのキャラクターと思われます。
秋葉原が近いだけあって、神田明神はアニメの舞台にもなっているそうです。

こちらが境内案内図。

神田明神の広さが分かっていただけるかと。
神田明神のホームページのほうが見やすいのでこちらもどうぞ。

本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
一の宮 大己貴命(おおなむちのみこと)
二の宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)
三の宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)

とても立派な本殿です。

正面を向いている狛犬

狛犬も猛々しい。
そしてこちらの狛犬ですが、正面を向いています。(写真にはないですが対の狛犬も)
非常に珍しいことだそうです。

獅子山の親子

写真の狛犬の右手に獅子山があります。

山頂にお父さんとお母さんが。
麓に子どもがいます。
まさに『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』です。

神馬のあかりちゃん

こちらの右手には神馬(しんめ)の『あかりちゃん』がいます。

お名前は神田『明』神と、明るく照らすから来ているとか(うろ覚え)。

こちらのあかりちゃんが神田明神にいらっしゃるのは、平将門命と馬の関係からですかね。
興味のある方は福島の相馬野馬追をどうぞ。
(私も一度は見てみたいと思っています)

しかしこちらのあかりちゃん、やはり窮屈そうでした。
お役目もあるのでしょうが、やはり馬に東京での生活はたいへんそうです。
ちなみにこのあかりちゃん、かつて脱走(御外遊)されたことがあるとか。
やはり馬は走っている姿が似合いますな。

大きなだいこく様と少し小さなえびす様

隨神門をくぐった左手に大きなだいこく様がいらっしゃいます。

大黒様 = 大国主命(=一の宮の御祭神の大己貴命)とされています。
神仏習合の名残ですな。
おおくにぬしのみことの『大国』が『ダイコク』と読めるからだとか。

こちらの大黒様の右手奥にえびす様がいらっしゃいます。

恵比寿様 = 二の宮の御祭神の少彦名命とされています。
こちらのえびす様ですが、だいこく様と比べるとずいぶんと小さく作られています。
それというのも、少彦名命は手のひらに乗るほど小さな神様だったそうですので、敢えて小さくしたのだと思われます。

神田明神の御祭神について考察する

御祭神
一の宮 大己貴命(おおなむちのみこと)
二の宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)
三の宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)

神田明神は江戸(東京)に鎮座して1300年以上の歴史を持つとされています。
また、平将門公は延慶2年(1309)にご奉祀(神田明神ホームページより)とあることから、後から祀られたことが分かります。

初めから神田明神に祀られていた(途中からの可能性もある)とされる大己貴命と少彦名命は、出雲を平定したことから、国土平定(経営)の神様とされています。

神田明神が創立されたころの関東といえば、まだまだ未開の地だったことでしょう。
ゆえに、大己貴命と少彦名命が祀られていることも納得です。

また、東京(江戸)でも有数の神社であり、将軍から庶民まで信仰を集めた神田明神の御祭神が、出雲系の神様であるというのも興味深い。

やはり当時の関東地方は出雲系の神様の信仰が篤かったと考えられる。

その経緯としては、国譲りの後、出雲系の人々が出雲から現在の関東に流れて来たことがあるだろう。
大宮にある武蔵一宮氷川神社に須佐之男命が祀られているのも、同様の理由と考えらえれる。

もっとも、初めは神田明神にも土着の神様が祀られていた可能性も否定はできない。

続いて平将門命が祀られていることから、やはり武士にとって平将門公が特別な存在であったことが窺える。

また、たいへん個人的な感覚だが、神田明神でいちばんに信仰されている神様は平将門命のように感じる。
それはやはり、江戸幕府を開いた徳川家康も武将だったからだろうか。

遠くに感じる神様よりも、自分たちの近くの神様を信仰するのは、心情的に理解できる気がする。

といっても、ただの個人的な感想なんですけどね。

次回は神田明神の摂末社のご紹介です。

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