秋葉原の神社⑤ 学問の神様 湯島天神に参拝

学問の神様を祀る湯島天神に参拝

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

東京にある大きな神社の一つ、それが湯島天神です。
湯島天満宮とも呼ばれますが、週末ただたかでは湯島天神と表記させて頂きます。

本殿の御祭神は菅原道真公と思われますが、週末ただたかでは天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)も合わせてご紹介させて頂きます。
理由は後ほど。

さて、こちらの湯島天神。
御祭神の菅原道真公にゆかりのあるものがたくさんあります。

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湯島天神へのアクセス

JR上の駅から徒歩20分程度

途中には上野公園や不忍池もあり、のんびり歩いていくのがおすすめ。

参拝後は御徒町のアメ横を歩くのも楽しいぞ!

いざ、湯島天神に参拝

上の地図ですが、見事に正規の参拝ルートを示してくれています。
『湯島天神入り口』の交差点に、大鳥居があります。

とんでもない大きさです。
これほど大きな鳥居が都心に残してある。
不思議な気持ちになります。

大鳥居をくぐった左手に

拝殿の正面に立つ鳥居があります。

左手に見えるのが由緒書きです。

掠れて見えずらいところもありますが、

第21代雄略天皇の勅命により
御宇二年(458年)一月創建

とあります。
ずいぶんと古い創建です。

そして当初の御祭神は天之手力雄命であったとあります。

湯島天神の御祭神は菅原道真公だとばかり思っていました・・・。
やはり参拝すると意外な事実に気づかされます。

その後、正平十年(1355年)十月に菅原道真公が勧請されたとあります。

他にも境内には由緒書きがあります。

鳥居をくぐると

参道には屋台の準備がされていました。
この日はお祭りだったんですかね?
それとも日常的に屋台があるんですかね?

こちらが本殿(拝殿)。

御祭神の菅原道真公が学問の神様だけあって、右手前には絵馬がこんもりとあります。

湯島天神の境内のご紹介

こちらが湯島天神の境内図。

手水舎の近くには

牛がいらっしゃいます。
菅原道真公といえば牛ですからね。
といっても、なぜ牛なのか私もよく知りませんでした。
気になる方は長岡天満宮のホームページが分かりやすいかと。

本殿の左手の方には梅園が広がっています。

菅原道真公といえば『梅』ですからね。
そして梅といえば梅ヶ枝餅が有名。
私も屋台で食べたことがあるのですが、梅ヶ枝餅はおすすめです。

他にも梅があります。

本殿の裏の方には摂末社があります。

摂末社の右手には階段があり、

こちらからも湯島天神に出入りができます。

また本殿の右手にも階段と鳥居があり、こちらからも湯島天神に出入りできます。

湯島天神は三方から参拝できるんですね。

さて、いよいよ本殿と摂末社のご紹介です。

湯島天神の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

こちらの本殿の御祭神ですが、おそらく菅原道真公の一柱の神様のみと思われます。
天之手力雄命は摂末社に祀られているものと思われます。

ですが、創建当初の湯島天神の御祭神が天之手力雄命であったとのことですので、週末ただたかでは本殿の御祭神を二柱の神様とさせて頂きました。

摂末社のご紹介

本殿の裏手に二つの摂末社があります。
二つの神社はまるて宙に浮かんでいるかのように鎮座されています。

戸隠神社

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)

戸隠神社といえば、長野の戸隠神社ですね。
いつかは参拝してみたい神社です。

そして湯島天神と戸隠神社には、やはりつながりがあるようで、湯島天神の信濃分社が建てられたそうです。

御祭神が天之手力雄命だから、というだけでは説明をつけるのは苦しいですね。
いったい湯島天神と戸隠神社にはどのような関係があるのでしょうか?

笹塚稲荷神社

御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

こちらは戸隠神社の左隣にあります。
江戸の稲荷神社らしく、提灯が賑やかでよい感じです。

三天 火伏三社稲荷社

御祭神
不明瞭

こちらは本殿正面の鳥居をくぐって、すぐ左手にあります。
こちらだけ離れたところにぽつんとありますので、おそらく末社かと思われます。

稲荷社というお名前から、御祭神は倉稲魂命と思われます。
しかし『火伏(ひぶせ)』とありますので、秋葉神社と関わりがあるのかもしれません。

湯島天神の御祭神について考察する

菅原道真公

湯島天神の御祭神といえば、やはり菅原道真公でしょうか。

菅原道真公は天穂日命(あめのほひのみこと)に起源を持つそうです。
天穂日命といえば鷲宮神社の御祭神ですね。

日本神話を知っていくと、天穂日命がどれほど日本の歴史に関係している神様か分かってきます。

さて、話は菅原道真公に戻ります。
いまでこそ菅原道真公は学問の神様として多くの人から参拝されていますが、しかし菅原道真公が神様として祀られることになった経緯は、決してよいものではありません。

今回は深く触れませんので、興味のある方は大宰府天満宮のホームページをご覧ください。

そう、
菅原道真公は人々から崇敬を集めて祀られたのではありません。
菅原道真公は人々から祟りを畏れられて祀られたのです。

天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)

続いて湯島天神創建時の御祭神である天之手力雄命についてです。

天之手力雄命といえば、お名前からも力強い神様であることが想像できます。

その天之手力雄命ですが、天の岩戸神話にも登場する神様です。

岩戸に閉じこもってしまった天照大御神が、外の様子が気になって岩戸を少し開いたところで、岩戸の隙間に手を入れて、岩戸を開いた神様です。
そして天之手力雄命はその岩戸を「そーい!」と投げられて、その岩戸は日本のほぼ中心に落ちたそうです。

その岩戸こそ、戸隠山だそうです。

ゆえに天之手力雄命が戸隠神社の御祭神なのでしょう。

しかしここで気になるのが、
なぜ湯島天神創建当初の御祭神が天之手力雄命なのか?
ということです。

しかも天之手力雄命が御祭神となった湯島天神は、雄略天皇の勅命で建てられています。
雄略天皇といえば当然ですが、朝廷側です。
また天之手力雄命は天津神です。

さて、
天津神である天之手力雄命が五世紀(由緒書きが正しければ)にほぼ未開の関東に祀られたのには、どのような意図があったのでしょうか?

気になりますが、現時点では何も思いつきません。
今後閃きを得るために、東京や関東の神社を参拝していきたいと思います。

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