我孫子市の神社③ 荒れた境内すら美しい葺不合神社に参拝

我孫子市の神社③ 荒れた境内すら美しい葺不合神社に参拝

御祭神
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

八臂弁財天(はっぴべんざいてん)
御祭神
市杵嶋比売尊(いちきしまひめのみこと)

我孫子市で神社を探していると、葺不合神社なる神社をお見掛けしました。
葺不合神社はふきあえず神社とお読みします。
お名前のとおり、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を御祭神とする神社です。

鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)。
関東圏の方には馴染みのないお名前かもしれません。
しかし神社好きの方はご存知のお名前かと思います。

そう、
鸕鷀草葺不合尊は初代天皇とされる神武天皇のお父さんなのです。
奥さんは玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。

玉依姫命といえば、上総国一之宮の玉前神社の御祭神です。
玉前神社は当サイトでもご紹介させて頂いております。

上総国一之宮の玉前神社のご紹介はこちらをご覧ください。

さて、
関東圏の神社で鸕鷀草葺不合尊のお名前を始めてお見掛けしました。
(玉前神社の古社記には、玉前神社の御祭神は玉依姫命と鸕鷀草葺不合尊が併記されているようですけど)

たいへん興味を惹かれました。
なぜ神武天皇のお父さんである鸕鷀草葺不合尊が、現代の千葉の地に祀られているのか。
そして同時に、なぜ現代の我孫子の地に市杵嶋比売尊(いちきしまひめのみこと)が祀られているのか。それも宗像三女神ではなく単独で。

今回は御祭神に関する考察を交えつつ、葺不合神社をご紹介させて頂きたいと思います。




我孫子市にある葺不合神社へのアクセス

JR成田線新木駅から徒歩15分ほど

葺不合神社の鳥居は道路のギリギリに面したところにあるのでちょっと驚くぞ!

いざ、我孫子市の葺不合神社に参拝

美しい参道を降りて、そして拝殿へ上る

こちらが葺不合神社の鳥居です。

鳥居の角度が急なのは、こちらの鳥居が道路のぎりぎりに面しているからです。
私は身を危険に晒してまで写真を撮りませんので。

鳥居をくぐってすぐ左にあるのが、

これらの石碑や石像です。
神仏習合の時代の名残でしょうか。

鳥居をくぐった先に伸びる参道です。

よく整備された参道とは言い難いのですが、美しい参道です。
そして参道を少し進むと、

いったん降りるのです!

階段を降りた先の参道がこちら。

足元に銀杏の葉と実が散らばっている光景もまた美しい。
また銀杏に覆われて分かりにくいですが、足元には小さな橋があります。
神社の境内には橋があるものですから。

そしてその橋を越えた左手には弁天池があります。

以前は湧水を集めた弁天池があったようなのですが、残念ながら現在は枯れてしまっています。

参道の脇にそびえる木々です。

こちらが二の鳥居です。

二の鳥居の両脇には由緒書きがあります。

本殿にはとても美しい彫刻があります。
これらの彫刻は一見の価値があります!
私は本殿の写真を細やかに撮らないことにしていますので、彫刻の写真はありません。
ですので!
ぜひ葺不合神社に参拝してご覧になってください。

こちらが葺不合神社の境内図です。

こちらが二の鳥居の左奥にある新四国相馬霊場七十七番札所です。

二の鳥居をくぐり壮麗な拝殿へ

二の鳥居をくぐると、今度は階段を上ります。
葺不合神社は一度参道を下って、そして参道を上る、という珍しい境内になっています。

階段を上ると壮麗な拝殿があります。

拝殿は階段を上ってすぐにありますので、全景を収めることができませんでした。
私は無理して写真を撮る性格ではないので。

しかし葺不合神社の拝殿はたいへん美しいので、ぜひ参拝して実際に見て頂きたいものです。

こちらが拝殿。
拝殿の正面に鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と市杵嶋比姫命(いちきしまひめのみこと)の説明書きがあります。
こちらの拝殿は葺不合神社と八臂弁財天の拝殿を兼ねているのです。

拝殿の額のあたりに天女の色彩画があります。

拝殿の裏手に葺不合神社の本殿が、
そして拝殿の内部に八臂弁財天の本殿があります。

八臂弁財天の本殿も写真がありませんので、興味のある方はぜひ参拝してみてください。

また、
拝殿の扁額がこちらです。

『天女宮』と書いてあるそうです。(確証はなし)

それというのも、こちらの拝殿、というより神社は、はもともと弁財天(八臂弁財天)だったようです。
八臂弁財天に葺不合神社が合祀されたようです。
(御由緒は後述)

ですので『天女宮』は弁財天(市杵嶋比姫命と弁財天は神仏習合で同じ神様とされている)を祀る、という意味と思われます。

葺不合神社の美しい本殿の御紹介

ちなみにこちらが拝殿の裏手から見上げた本殿です。

そう、葺不合神社の本殿は拝殿のさらに一つ高いところにあるのです。

それでは一段高いところにある本殿へと向かいましょう。
美しい拝殿の右手に、本殿へと続く道があります。
(左手の道からも本殿へいけなくはないですが、右の道がおすすめです)

どうですこの美しさ!
敷き詰められた銀杏の葉が高貴さを醸し出しています!

そしてこの銀杏の葉の敷き詰められた道の先に見えるのが、葺不合神社の本殿です。
こちらの本殿はたいへん美しく、

彫刻もたいへん見ごたえがあります。
ヤマタノオロチ退治の彫刻があります。ヤマタノオロチですので、描かれているのは須佐之男命(すさのおのみこと)でしょうか?
ただし、
写真はありませn。
ですので気になる方は参拝してご覧ください。

そして本殿のさらに裏手に、『鸕鷀草葺不合尊』(うがやふきあえずのみこと)と彫られた石碑があります。

葺不合神社は本殿周りもたいへん美しいのです。

拝殿の左手にある摂末社のご紹介

拝殿の左手には蚕影山神社、三峰社、妙見社、水神社、白山社があるようです。

拝殿左手の道を進んでいくと、社や石像があります。

こちらに石像には『北辰妙見菩薩』とあります。
千葉市にある千葉神社に代表されるように、千葉では妙見信仰が盛んだったようです。

妙見様は北極星のことのようです。

北極星すなわちこぐま座α星の仏教語。北辰妙見とも呼ばれる。妙見菩薩は,国土を守り貧窮を救う神で,北極星としてこの世に現れるという。仏像や絵画には,北極星をめぐる北斗七星が背景として加えられるために,しばしば妙見と北斗が混同される。北斗は天帝を守る剣であるという伝説から,妙見は武運を守ると信じられ,平将門,加藤清正など武将はこれを守り神とした。 (→北辰 )
コトバンクより引用)

北極星すなわちこぐま座α星の中国名。古代中国では北極星をこう呼んだが,日本に入るに及んで,仏教の妙見菩薩と結びつき北妙見と呼ばれるようになった。しばしば北斗七星と混同される。 (→妙見 )
コトバンクより引用)

そして妙見様は平将門と深い関りがあります。
そのような北辰妙見菩薩像が我孫子市にある葺不合神社にあることから、平将門の影を感じずにはいられません。

(以前は甕星香々背男のように『星』の信仰という観点で千葉神社をご紹介させて頂きました。しかし千葉神社は平将門と妙見様といった関わりがあるようです)

こちらは不明な社です。

こちらは白山神社です。
白山神社といえば菊理媛尊(くくりひめのみこと)が御祭神と思われます。
菊理媛尊もまた興味を惹かれる神様です。

菊理媛尊に興味のある方はこちらをご覧ください。

蚕影山神社、三峰社、水神社はどちらにあるのか不明です。
とくに蚕影山神社は気になる神社です。
蚕影山神社については、いずれ参拝させて頂いた際にご紹介させて頂ければと思います。

葺不合神社の御由緒

葺不合神社の御由緒を要約すると、

【弁財天について】

古来より、沖田村の弁天様と崇敬されているのは、この拝殿(葺不合神社の拝殿)のことである。

葺不合神社の拝殿は元々独立した神社で、御祭神は市杵島比売命(弁財天)が祀られ、創祀は文治二年(1186)と言われている。

現在の社殿は明和二年(1765)に弁天堂として造営され、明治元年(1868)の神仏分離政策により厳島神社と改名された。

【葺不合神社について】

葺不合神社の本殿は元来、字宮前の地)現在の新木近隣センターのあたり)にあり、創始は奈良時代遡るとされ、沖田の産土神として親しまれてきた。

 明治三十九年(1906)の一村一社の令により、現在の地に白山等の神社と共に合祀され、これを機に主祭神を鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)とした。

この時に拝殿堂内の八臂弁財天を右の間に遷し、葺不合神社本殿を拝せるように中央正面の壁を観音開きとした。

とあります。
気にあることがあるとすれば、なぜもともと葺不合神社があった土地に弁財天を合祀しなかったのか、というところでしょうか。

奈良時代から産土神として崇敬を集めてきた葺不合神社を遷さなくてはならない理由があったのでしょうか?

葺不合神社の御祭神のご紹介

御祭神
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

八臂弁財天(はっぴべんざいてん)
御祭神
市杵嶋比売尊(いちきしまひめのみこと)

鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

鸕鷀草葺不合尊は、初代天皇とされる神武天皇のお父さんであり、玉依姫命の夫でもあります。
ですので天皇と王とする日本にとって、とても関わりの深い神様ととらえることもできます。

以下、上総国一ノ宮玉前神社のご紹介からコピペです。

玉前神社の古社記には鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)のご神名が併記されています

とあります。

鵜茅葺不合命は、玉依姫命のお姉さんである豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と彦火火出見尊(ひこほほでのみこと=山幸彦)の御子神です。

ちなみに彦火火出見尊(ひこほほでのみこと=山幸彦)は、天孫降臨をされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花咲耶姫命(このはなさくやびめのみこと)の御子神です。

そして、
豊玉姫命は出産の際に夫(彦火火出見尊)にワニの姿(サメの姿?)を見られたことを恥じて、鵜茅葺不合命のお世話を妹の玉依姫命に任せて海に帰ってしまいます。

豊玉姫命は海神の娘なのです。
なのでワニ(サメ?)なのだそうです。

そしてそして、
結果として、玉依姫命は甥っ子である鵜茅葺不合命と結婚されるのです!

まあ、一族の血を絶やさないためとかで、親族の結婚が当たり前の時代もあったようですからね。

そして玉依姫命と鵜茅葺不合命の御子神こそが初代天皇の神武天皇とされています!

そう、
玉依姫命は初代天皇のお母さんとされている神様なのです。

初代天皇のお父さんである鸕鷀草葺不合尊。
日本の歴史を紐解く上で、重要な神様と考えられます。
ですが鸕鷀草葺不合尊を祀る神社は少ない気がします。

九州の方にはいくつか鸕鷀草葺不合尊を祀る神社があるようなのですが、関東で鸕鷀草葺不合尊を祀る神社は今回ご紹介させて頂いた葺不合神社だけのようです。
(上総国一之宮の玉前神社の古社記を除く)

それでは逆に、なぜ関東に鸕鷀草葺不合尊が祀られているのか不思議に思えます。

というのも、
神社の御祭神は地域によって違いがあるものです。
もちろん全国的に祀られている神様も多数いらっしゃいます。天照大神や須佐之男命、建御名方神(たけみなかたのかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、八幡大神(はちまんのおおかみ)は全国的に祀られています。

しかし、地域によって祀られる神様が分かれているのも事実です。
関東圏と関西圏、九州地方では祀られている神様に確実に違いがありますから。

そのような神社の御祭神の状況で、なぜ鸕鷀草葺不合尊が関東、それも現在の千葉と茨城の間に祀られているのでしょうか?

現時点で思いつく理由は、上総一ノ宮玉前神社の御祭神が神武天皇のお母さんの玉依姫命であることです。

神武天皇のお母さんの玉依姫命を上総一ノ宮玉前神社の地に祀った理由は以前考察したとおりです。

鸕鷀草葺不合尊は同様の理由で現在の千葉県に祀られたとは考えにくいかもしれません。
しかし、
神武天皇のお母さんを祀るなら、お父さんも祀ろう、というのは自然な気がします。

葺不合神社と上総一ノ宮玉前神社の位置関係です。
ちょっと遠いですね。
しかし、この位置関係にも何かしらの理由があるかも・・・。

市杵嶋比売尊(いちきしまひめのみこと)

宗像三女神の一柱の神様です。
宗像大社や厳島神社に祀られている有名な神様で、海上交通の神様とされています。

宗像大社に祀られていることや、海上交通の神様であることから、航海術を持っていた部族、それも現在の宗像大社近辺の部族の氏神と考えられます。

しかし!
市杵嶋比売尊(いちきしまひめのみこと)が単独で祀られている場合、別の神様の側面を持つのではないか、と個人的には考えています。

それというのも、
宗像三女神のなかで、市杵嶋比売尊だけが他のお名前を多数持っているように思います。
そして他のお名前が、もともとのお名前を似ても似つかないお名前だったりすることがあります。

以下は新橋にある日比谷神社のご紹介から引用です。

瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)は、須佐之男命(すさのおのみこと)と天照大御神の誓約の際にお生まれになった、宗像三女神の一柱、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と同一視されることもあるようなのです。

ゆえに、
市杵嶋比売尊という神様は個人的に謎の多い神様だったりします。

今後市杵嶋比売尊を祀る神社に参拝させて頂いた際に閃くものがあれば、またご紹介させて頂きたいと思います。

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