今回の目次
君の名は。の舞台!東京四谷総鎮守 須賀神社に参拝
主祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
宇迦之能御魂神(うかのみたまのみこと)
東京四谷総鎮守、須賀神社に参拝させて頂きました。
こちらの須賀神社、あることでたいへん有名になった神社でもあります。
そのあることとは・・・
映画『君の名は。』の舞台の一つとなったからです。
君の名は。の最後のシーン、主人公とヒロインが再開する階段が、こちらの須賀神社の手前にある階段なんですよね。
ですので、
須賀神社に参拝させて頂くと、今でも君の名は。のファンの方が階段で撮影していたりします。
こちらがその階段。
この階段で主人公とヒロインが再開を果たしたのです。
すれ違いにならないでよかった・・・。
余談 新海誠監督は神社が好き?
今回はちょっと余談を。
新海誠監督はどうやら神社がお好きなようです。
映画『君の名は。』や、サイドストーリーが描かれた小説から、神社がお好きということが窺えます。
君の名は。のヒロインの三葉(みつは)の名前は、水の神様である罔象女神(みつはのめのかみ)に由来するそうです。
主人公の名前も瀧(たき)君で、そのまま水を表す名前だったりします。
それにヒロインが神社の巫女であり、ヒロインの神社の御祭神は建葉槌命(たてはづちのみこと)のようですし。
建葉槌命は織物の神様とされていますから、
ヒロインの三葉の神社の御祭神としてはぴったりです。
織物は糸を紡ぐことですから。
君の名は。の舞台の四谷須賀神社へのアクセス
各線四ツ谷駅から徒歩10分ほど
四ツ谷駅から須賀神社への道中は一軒家が意外とたくさんあるぞ!
東京の真ん中なのにどこか庶民的な街並みを見ることができる!
いざ、君の名は。の舞台となった四谷須賀神社に参拝
こちらが須賀神社へと続く階段です。
瀧君と三葉が再開を果たした場所でもあります。
いまだ君の名は。ファンの姿が見えます。
こちらの階段を上りきると左手に須賀神社が見えます。
奥に鳥居が見えます。
手前は駐車場とちょっとした遊具があり、右手に見えるのはおしゃれな集合住宅です。
こちらが鳥居です。
鳥居の右手に由緒書きと階段があります。
階段側からの鳥居です。
鳥居をくぐると境内が広がっています。
参道の右手に手水舎があります。
なんと境内にはFreeWi-Fiがあります!!!
これは海外からの観光客にもありがたいですな。
手水舎の左手には梯子があります。
建築関係を示すものか、火事を示すものかは不明です。
こちらが本殿(拝殿)です。
本殿(拝殿)の左手には大黒様の像があります。
大黒様=大国主命(おおくにぬしのみこと)ですから、主祭神の須佐之男命とたいへん関係の深い神様といえます。
本殿の右手には祖霊社があります。
祖霊社の奥に景色が広がっています。
須賀神社は高台にあるのです。
実は東京は起伏が激しい土地だったりします。
本殿左手には天白稲荷神社があります。
こちらの天白稲荷神社には狛犬がいらっしゃいます。
また、両脇の岩の下部は祠のようになっていて、どこか神秘的な印象を受けます。
天白稲荷神社の手前には三十六歌仙絵があります。
和歌が好きな方にもたまらない神社なのです。
四谷須賀神社の御由緒
今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
(四谷須賀神社ホームページより引用)
四谷須賀神社の御祭神のご紹介
主祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
宇迦之能御魂神(うかのみたまのみこと)
御祭神の表記はすべて公式ホームページのままです。
主祭神以外にも多くの神様が祀られています。
公式ホームページによると、
主祭神の左右には櫛稲姫を始め八柱の御子を祀っているとのこと。
五男神 : 天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命
三女神 : 多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命
合殿:大鳥神社
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ?)
末社:大黒社
御祭神
大国主命(おおくにぬしのみこと)
となっています。
どの神様も須佐之男命に関わりの深い神様といえます。
(日本武尊は難しいところですけど)
由緒書きによると、
須佐之男命は寛永14年(1637年)に神田明神から遷移されたとあります。
馬込勘由なる人物にとって、須佐之男命は重要な神様だったのでしょうか?
そもそも須佐之男命は、時代が下るにつれ関東圏での信仰が盛んになったように思います。
いえ、
現時点での印象を正直に述べるなら、須佐之男命はある時代から西日本で歓迎されなくなったのではないかと考えられます。
どのような経緯、きっかけがあったかは不明瞭ですが、なぜか須佐之男命は関東圏に移り、そして関東圏で崇敬を集めるようになったようです。
須佐之男命は出雲の祖といえる神様。
あの出雲大社に主祭神も、須佐之男命だった時代があるといった話を耳にしたこともあります。
その須佐之男命が、埼玉の大宮にある武蔵一宮氷川神社や、東京の神田明神や須賀神社で信仰されている理由はなんなのでしょうか?
それを知るには、やはり西日本の神社も回らなければ・・・