武士を感じる質実剛健な神社、平塚神社に参拝

武士を感じる質実剛健な神社、平塚神社に参拝

御祭神
八幡太郎 源義家命(はちまんたろうみなもとのよしいえのみこと)
賀茂次郎 源義綱命 (かもじろうみなもとのよしつなのみこと)
新羅三郎 源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)

王子神社七社神社と続き、平塚神社に参拝させて頂きました。

こちらの平塚神社の御祭神は源(みなもと)のお名前を持つ方々です。
源といえば、武士。

そして平塚神社は武士を祀るに相応しい、厳粛さと剛健さを持っているように感じます。
そしてなにより質素なのがいい。

今回ご紹介させて頂く平塚神社の御祭神は歴史上の偉人。
実在したとされる人物です。

なぜこの地に源の名を持つ方々が祀られているのか?
その理由がわかれば、神社と御祭神についてわかることがあるかもしれません。

ちなみに、
平塚神社の御祭神のおひとり(一柱)である新羅三郎 源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)ですが、さいたま市緑区にある鷲神社の由緒が気にお名前が載っていたりします。

神社の参拝を続けているといろいろとつながってくるものです。




源の方々を祀る平塚神社へのアクセス

〒114-0016 東京都北区上中里1丁目47−1
JR上中里駅から徒歩5分ほど

しかしJR上中里駅は東京都内の駅のなかでも異質な感じがします。
線路に分断されている、とでもいえばいいのでしょうか。
不思議な駅です。

いざ、平塚神社へ参拝

平塚神社の簡素な鳥居と本殿(拝殿)

こちらが平塚神社の参道です。

参道の手前に大きめの鳥居があるのですが、駐車場となっていて写真を撮りづらかったのでっ写真はありません。
平塚神社はJR上中里駅の近くにあるので、境内は駐車場として需要があるようです。

こちらが摂末社。
詳細は後ほど。

こちらが鳥居です。

なんとも簡素で質素な鳥居です。
しかしそれがいい!
武士を祀る神社に相応しい鳥居に思えます。

こちらが本殿(拝殿)です。

本殿(拝殿)も簡素です。
しかしそれがいい!

狛犬もどこか猛々しさを感じます。
狛犬も武士っぽい。

ちなみに、
本殿(拝殿)の右手に進むとJR上中里駅へと続く道に出られます。

平塚神社の摂末社

平塚神社には摂末社が4社あります。
手前からご紹介していくと、

菅原神社(平塚天神社)。
天神社ですので御祭神は菅原道真公です。
ですが大己貴命(おおなむちのみこと)と豊島太郎近義命も合祀されています。

豊島太郎近義命については後述します。

菅原神社の左手にあるのが稲荷神社です。

右が大門先元稲荷神社、
左が御料稲荷神社です。
どちらも御祭神は保食神(うけもちのかみ)です。

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ではなく、保食神とあります。

こちらの稲荷神社の左手、境内のいちばん端にあるのが、石室神社(石神明神)です。

石室神社の御祭神は蘓坂兵庫頭秀次命。
蘓坂兵庫頭秀次の読み方はわかりません・・・。

蘓坂兵庫頭秀次なる人物についても後述します。

平塚神社の御由緒のご紹介

 平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
徳川の時代に、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得、将軍徳川家光の近習となり立身出世を果たしました。その後家光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願しました。将軍の病気はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復しました。家光も五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、自らもたびたび参詣に訪れました。
平塚神社ホームページより引用)

平塚神社に関係する人物を時系列にざっくりと並べますと、

八幡太郎源義家公が奥州征伐の途中で立ち寄る

八幡太郎源義家公が土地の領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜

豊島太郎近義が義家・義綱・義光を平塚大明神として祀る

豊島氏の後、平塚城主となった蘓坂兵庫頭秀次が平塚大明神を篤く祀った

とのことです。

ここで蘓坂兵庫頭秀次なる人物のすばらしいところが、

祀られている社が境内のいちばん端にあるんですよね。
いかにも武士っぽい。

それに社自体も簡素で質素なものです。

もともとは中にある石の祠だけだったと推測されます。
外側の社は後世になって作られたのではないでしょうか。

平塚神社の御祭神のご紹介

御祭神
八幡太郎 源義家命(はちまんたろうみなもとのよしいえのみこと)
賀茂次郎 源義綱命 (かもじろうみなもとのよしつなのみこと)
新羅三郎 源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)

八幡太郎 源義家命(はちまんたろうみなもとのよしいえのみこと)

平安後期の武将で、源頼朝・義経や足利将軍家の先祖。岩清水八幡宮で元服したので八幡太郎と号されました。その武威は物の怪ですら退散させたといわれ、義家公の弓矢は魔除け・病除けとして白河上皇に献上されました。
平塚神社ホームページより引用)

賀茂次郎 源義綱命 (かもじろうみなもとのよしつなのみこと)

義家公の次弟。賀茂神社で元服したので賀茂次郎と号されました。
平塚神社ホームページより引用)

新羅三郎 源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)

義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号されました。
平塚神社ホームページより引用)

源義家は、源頼朝や足利将軍の先祖なんですね・・・。

それに源義光は武田氏の先祖ともあります。
武田氏とはあの戦国最強とされた武田氏のことでしょうか・・・。

さて、
現時点で私が興味を惹かれているのは神代の神々です。
しかし神社の参拝を続けていると、歴史上の偉人が祀られている神社もよくお見掛けします。

そして神社や御祭神に詳しくなるほど、
歴史上の偉人について知らなくてはならないと思うようになります。

それは神代の神々と、歴史上の偉人がつながっているからです。

誤解を恐れず言うならば、
歴史上の偉人の趨勢によって御祭神は変遷してきたといえるからです。

平塚神社の源の方々がどのような力を持ち、どのようにかつての日本を変えたのか、現時点ではよくわかっていません。
もう少し勉強が必要なようです。

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