社殿が北向き!平将門公を祀る筑土神社に参拝

社殿が北向き!平将門公を祀る筑土神社に参拝

主祭神
天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)

相殿神
平将門公(たいらのまさかどこう)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

今回ご紹介させて頂くのは、東京都千代田区、九段下駅からほど近いところに鎮座している筑土神社です。

こちらの筑土神社はまさに東京の神社。
東京のど真ん中にある神社ですので、神社とビルが一体化しています。

そして神社とビルが一体化している影響か、社殿が北を向いている神社でもあります。

一般的に神社の社殿は北を向かないようになっているのですが、
こちらの筑土神社の社殿は北を向いています。
東京のど真ん中にあるという立地から、社殿を北向きにせざるを得なかったのかもしれません。
もしくは社殿が北を向く明確な理由があるのかもしれません。

また、
こちらの筑土神社の主祭神は、現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)となっています。
ですが、
筑土神社ホームページにあるように、瓊瓊杵尊が筑土神社の主祭神とされるようになったのは明治七年のことです。

そもそもの御祭神は平将門公のみであったそうです。

今回はいろいろと興味を惹かれる、筑土神社のご紹介です。




九段下にある筑土神社へのアクセス

〒102-0073 東京都千代田区九段北1丁目14−21
地下鉄九段下駅から徒歩2分ほど

とんでもない立地にあります!
これぞ東京の神社。

いざ、平将門公を祀る筑土神社に参拝

筑土神社の境内図に興味のある方は公式ホームページをご覧ください。

筑土神社境内図

ビルと一体化した境内と荘厳な本殿(拝殿)

こちらが筑土神社の鳥居です。

見事にビルと一体化しています。
これぞ東京の神社です。

鳥居をくぐると参道が伸びているのですが、

西洋の神殿を彷彿とさせる参道です。

参道を抜けると本殿(拝殿)があります。

限られたスペースを圧倒する本殿(拝殿)の存在感。

天孫・瓊瓊杵尊を祀るにしても、平将門公を祀るにしても、相応しい荘厳な社殿です。

ただ気になる点があるとすれば・・・
千木が地面と平行になっています。
この千木の設置の場合、一般的には女神を祀る形とされているんですよね。
もっとも千木の形が必ずしも重要というわけではないようですけど。

筑土神社の摂末社

本殿(拝殿)を右手に奥に進んでいくと、世継稲荷神社があります。
御祭神は倉稲魂神(うがのみたまのかみ)。

元々は田安稲荷神社と称されていた世継稲荷神社ですが、
境内に橙(だいだい)の樹があることから、

「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える宮」

とのことで世継稲荷神社となったそうです。

ちなみに現在も世継稲荷神社の脇には、

橙の実る樹があります。
参拝の際は落ちてくる橙の実にご注意を。

筑土神社の御祭神のご紹介

主祭神
天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)

相殿神
平将門公(たいらのまさかどこう)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

筑土神社の御祭神ですが、
公式ホームページにもあるように、元々の御祭神は平将門公のみだったそうです。

明治になって神仏に関する信仰が大きく変わったことにより、主祭神が天孫・瓊瓊杵尊となったのだと考えられます。
公式ホームページにも、

築土神社には明治7年に霧島神宮(鹿児島県姶良郡霧島町)より勧請。これは、それまで当社唯一の祭神であった平将門公が明治政府に冷遇されたため、便宜上、天皇と関わりの深い神を「主神」として祀り上げることで、当時の社格を意識したものと思われる
筑土神社ホームページより引用)

とあります。

瓊瓊杵尊は天照大神の孫であり、芦原中つ国を治めるために天下った神様です。
ゆえに神話上では日本を治める正当な理由がある神様です。
そして天皇家は瓊瓊杵尊の子孫です。
それすなわち、天皇が日本を治めることが正当なこと、ということにもなります。

当時の明治政府には神社の御祭神が天津神(天照大神や瓊瓊杵尊のような高天原の神様)のほうが都合がよかったのだと推測されます。

筑土神社の社殿が北向きの理由を考察する

さて、
筑土神社の社殿は北を向いています。

神社の社殿は一般的に北を向くことはありません。
多くは南面しているか、東面、西面しているものです。

しかし、
社殿が北を向いている神社もあります。

その理由の一つに、現代の道路・土地の事情が挙げられます。
単純に区画整理の都合で社殿を北向きにせざるを得なかった、といったところです。
街中にある小さめの神社はわりと北を向いていたりするのも、区画整理の影響かと思われます。

そして、
明示的に社殿が北を向いている神社もあります。

その理由として、

北の朝敵(=まつろわぬ民)を神の威光で抑えている

といったものがあります。
これに該当するのが、

府中にある大國魂神社

大國魂神社に興味のある方はこちらをご覧ください。

武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀る鹿島神宮

鹿島神宮に興味のある方はこちらをご覧ください。

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祀る香取神宮の奥宮

香取神宮に興味のある方はこちらをご覧ください。

といった神社です。
これらの神社は明示的に北を向いています。
(香取神宮の奥宮は私の推測ですけど)

さて、
このことから、九段下にある筑土神社も明示的に北を向いている可能性が考えられます。
それというのも、

平将門公のお力で北を威嚇している

ということが考えられます。
なにせ平将門公といえば、勇猛果敢な武将であったとされています。
その力はとんでもないものだったことでしょう。

そのような平将門公であれば、北の勢力を抑える力もお持ちでしょう。

しかし、
この考察には大きな穴があります。
それは、
現在の関東の地を治めた平将門公が、北に住まう『まつろわぬ民』を敵視していたかどうか、といった点です。

平将門公は、当時の関東の人々から英雄視されていた可能性すらあります。
その平将門公が北に住まう『まつろわぬ民』を威嚇する必要があるのでしょうか。
(もっとも関東以北の土地は平将門公も治めていなかったでしょうけど)

ふと訪れた筑土神社でしたが、いろいろと考えさせられる神社でした。

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