武蔵国足立郡の名残か 足立神社に参拝①

猿田彦命を祀る足立神社に参拝

御祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)

JR京浜東北線の与野駅の近くに足立神社があります。
足立神社の『足立』というお名前の由来は、武蔵国足立郡から来ているのでしょうか。

御祭神は猿田彦命と、天鈿女命です。
こちらの二柱の神様は非常に関係の深い神様です。

また、私は猿田彦命と天鈿女命が夫婦神であるとどこかで見た記憶があり、夫婦神だと思っていたのですが、どうやら明言はできないようです。
週末ただたかの鷲宮神社のご紹介の際に、猿田彦命と天鈿女命が夫婦神であると述べたかもしれませんが、確証はありません。
今後いっそう神社を参拝していき、猿田彦命と天鈿女命が夫婦神であるかは、進展があればご紹介したいと思います。

今回は少しだけ、猿田彦命と天鈿女命のご夫婦の神様について触れたいと思います。

—補足—
『歴史書 古事記 全訳』という書物によれば、やはり猿田彦命と天鈿女命は夫婦神のようです。
古事記にあるのでほぼ間違いないかと。
しかしその二柱の神様を夫婦神だと明言されないことがあるのはなぜでしょうか?
今後ゆっくり考察していきたいと思います。




さいたま市にある足立神社へのアクセス

JR京浜東北線 与野駅から徒歩15分程度

さいたま市にある足立神社のご紹介

こちらの足立神社ですが、周辺に神社が見当たらないのです。
ですので、このあたり(さいたま市浦和区上木崎)の人々の崇敬を集めていると思われます。

その足立神社ですが、参道が少し長いです。

一の鳥居。

住宅地の中にあります。
参道の両脇も住宅地です。

一の鳥居の参道脇には

公園もあります。
足立神社の土地を住民の憩いの場に使ってもらっているようです。

二の鳥居。

右に見えるのは桜でしょうか。
二の鳥居は、桜の季節はとても見ごたえがありそうです。

三の鳥居。

三の鳥居の右手に由緒書きがあります。
第9代開化天皇の御代に創立とあります。
正しいとすれば、相当歴史のある神社です。

足立神社のお名前の由来は載っていないですな。

三の鳥居をくぐると、

境内が広がっています。
広い。
小さなお子さんとお母さんが遊んでいたりと、地域の方の生活に溶けこんでいる。

拝殿(本殿)。

きれいな拝殿です。
素材も新しく見えたので、定期的に立て直しているのでしょうか。
定期的に立て直しができるということは、足立神社を支えている人々が多いということが想像できます。

足立神社の摂末社は拝殿の左脇に二社、右脇に三社あります。
摂末社のご紹介は後ほど。

足立神社の御祭神のご紹介

御祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)

猿田彦命

天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨される際、道案内をお務めになられた神様。

その容姿は特徴的で、一説には異様に長い鼻、丈高き背、赤く輝く目をもつという。
(興味のある方はこちらをどうぞ)。

天鈿女命(あめのうずめのみこと)

天照大御神が天の岩戸にお隠れになった際、半裸で踊り、天照大御神に岩戸を開けさせた神様。

その後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨の際も五伴緒神(いつとものおのかみ)の一柱として従った神様でもある。

また天岩戸の際に踊ったことからか、天鈿女命は芸能のご利益がある神様とされている。

猿田彦命と天鈿女命の関係性は?

私は猿田彦命と天鈿女命の二柱の神様が夫婦神だと思っていました。
ですが、google検索した限りだと、そのような記述は見当たりません。
どこかで夫婦神だと見たんですけどね・・・。

猿田彦命と天鈿女命の二柱の神様が夫婦神かは明確になりませんが、こちらの二柱の神様の関係が深いことは明確です。

二柱の神様の出会いは天孫降臨の際。
天鈿女命は五伴緒神として瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従い、猿田彦命は瓊瓊杵尊の道案内を務めるべく待っていました。

その後、瓊瓊杵尊の降臨を終えた二柱の神様は、現在の三重県の五十鈴川の地で、全国の開拓にあたられたそうです。
猿田彦神社の由緒から一部抜粋)

さて、こちらの二柱の神様ですが、私はずっと夫婦神だと思っていました。
天津神の天鈿女命と、国津神の猿田彦命が夫婦となることが、瓊瓊杵尊の芦原中つ国の統治に必要なことだと思っていたからです。
ですので猿田彦命と天鈿女命が夫婦神であることに疑いを持ちませんでした。

ですが、調べてみると猿田彦命と天鈿女命が敵対関係にさえあったとする記述も発見しました。
猿田彦命と天鈿女命が敵対関係。
しかしそれを見ても違和感はありませんでした。
なぜなら猿田彦命と天鈿女命が夫婦神だとしても、二柱の神様の関係が良好ではなかったかもしれないからです。

それは猿田彦命が亡くなられる描写からも窺えます。
また、三重にある猿田彦神社の猿田彦命と天鈿女命の祀り方からも窺えます。
たしか猿田彦命と天鈿女命は別々に祀られているんですよね・・・。
しかもそれぞれが祀られている神社が正対していたはず・・・。

現段階ではあまりにも知識不足で、これ以上考えはまとまりそうにありません。
また進展があり次第、猿田彦命と天鈿女命の二柱の神様についてご紹介したいと思います。

猿田彦命が埼玉に祀られる必要性は?

さて、
もう一つ猿田彦命について個人的に疑問があります。
それは、

なぜ埼玉県に猿田彦命が祀られているのか?

ということです。

もちろん、先に述べたように三重の五十鈴川の地で全国の開拓にあたられたとのことなので、全国的に信仰されていても不思議ではないかもしれません。

また、
道祖神 = 猿田彦命
とされることもあるようなので、道祖神を祀っていた神社の御祭神が、時を経て猿田彦命になっていった可能性もあります。

さて、
ここで突飛な説を。

それは、
猿田彦命は現在の関東に祀られている神々を監視しているのでは?

という超個人的な説です。

それというのも、こちらの足立神社の近くにはあの神社があります。
そう、武蔵一宮氷川神社です。
御祭神はもちろん須佐之男命です。

須佐之男命といえば天津神とされていますが、大和朝廷の大敵であった出雲を興した神様でもあります。
また、高天原系の神様とされていますが、むしろ葦原中つ国で影響力の強い神様であると考えられます。

そして週末ただたかでご紹介した猿田彦命が近くに祀られている神社といえば、

高麗王若光が祀られている高麗神社です。

その高麗神社の近くにある神社が、野々宮神社であり、御祭神に猿田彦命がいらっしゃいます。
こちらの高麗神社もまた、当時の関東の地でたいへん力を持った神社であったと考えられます。

国津神でありながら天津神と関わりの深い猿田彦命。
猿田彦命という神様は、いったいどのような神様なのでしょうか。

足立神社の摂末社については次回ご紹介します。

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