今回の目次
鳥越祭がすごい 鳥越神社に参拝
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
【相殿】
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
東照宮公(とうしょうぐうこう)
浅草橋散策の主題の鳥越神社のご紹介です。
鳥越神社をアド街ック天国で知って以来、いつかは参拝してみたいと思っていました。
こちらの鳥越神社ですが、鳥越祭がすごいようです。
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鳥越神社へのアクセス
JR浅草橋駅から徒歩10分程度
都営地下鉄 蔵前駅から徒歩5分程度
いざ、鳥越神社に参拝
大鳥居は大通りに面しています。
ですのでうまいこと全景を収めらえれず。
写真撮影に命を懸けるわけにはいきませんので。
大鳥居の左手には由緒書きというよりは、下町まちしるべがあります。
大鳥居をくぐるって参道を左に折れると
このように境内が広がっています。
右手に見えるのが社務所です。
こちらが本殿(拝殿)。
たいへんきれいな社です。
狛犬もすばらしい。デザインが西洋風?に見えなくもないです。
本殿の左手に進むと、
右手に志々岐神社があります。
志々岐神社の向かいには、祖霊舎(と石碑にある)があります。
本殿のほうに戻り、本殿を背に進むと福寿神社があります。
また、境内には台東区神社マップなるものがあります。
鳥越神社の御由緒
孝徳天皇白雉二年(651年)創立と伝えられ、白鳥明神の那は、八幡太郎義家公奥州征伐の折、白い鳥に浅瀬を教えられ、軍勢をやすやすと渡すことができたとき、鳥越大明神の御社号を奉られたいわれる。
御鎮座1350年の古社。
(東京都神社庁のホームページから引用)
鳥越神社の本殿(拝殿)のご紹介
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
【相殿】
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
東照宮公(とうしょうぐうこう)
御祭神の情報は東京都神社庁のホームページから引用。
主祭神は日本武尊と考えてよいかと。
神田明神の近くの妻恋神社のご紹介の際に、日本武尊についてもご紹介させて頂きました。
興味のある方は妻恋神社のご紹介をご覧ください。
日本武尊の遠征
お父さんである第12代景行天皇に命じられ日本(当時はまだ日本ではないけど)各地の征討に向かった日本武尊。
現在の九州や山陰地域を征討した日本武尊が帰還するなり、景行天皇は東方の征討も命じられました。
さて、
東方といっても日本武尊はどこまで向かったのか。
なんと、筑波山のあたりまで向かったとのことです。
それほどの範囲を日本武尊は征討していったのだそうです。
関東の多くの神社で日本武尊が祀られていることも頷けます。
余談
日本武尊は一人(一柱)ではなく、複数存在するという説があるそうです。
それというのも、
日本武尊は個人のお名前ではなく、称号のようなものなのではないか?
という考えがあるそうです。
日本武尊というお名前(呼称?)は、
①代々受け継がれるお名前だった
②その地その時の英雄に与えらえれるお名前だった
といったことが考えられます。
ちなみにこの考えは、須佐之男命にも通じるものがあります。
それというのも、
須佐之男命は一柱の神様のお名前ではなく、その地その時の英雄(領主的な?)が関するお名前だったという説もあるそうです。
といっても、真偽のほどは現時点では不明です。
はたして日本武尊という神様は、どのような形で日本を征討したのでしょうか?
鳥越神社の末社のご紹介
志々岐(ししき)神社
御祭神
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
御祭神の豊玉姫命は、山幸彦の奥さんとされています。
山幸彦は天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の御子神。
豊玉姫命と山幸彦の出会いは、山幸彦と海幸彦の釣り針をめぐる争いに端を発します。
ですが、その逸話のご紹介はまたの機会に。
ちなみに豊玉姫命の正体(本体?)は巨大なサメ(古語だとワニ)なのだとか。
さすが神話の世界は表現がすごい!
祖霊舎
鳥越の地にゆかりのある先人を祀っていると思われる。
福寿神社
御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
大黒天神
恵比寿神
菅原道真公
こちらの御祭神は(一般的に)縁起のよい神様がそろっていらっしゃいます。
江戸の気質にあった神様が祀られている、といった感じでしょうか。
以上、鳥越神社のご紹介でした。
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