青春18きっぷでめぐる千葉の姫神様⑤ 弟橘姫命と関係のある蘇我比咩神社に参拝

青春18きっぷでめぐる千葉の姫神様⑤ 弟橘姫命と関係のある蘇我比咩神社に参拝

御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
蘇我比咩の大神(そがひめのおおかみ)
春日大明神(かすがだいみょうじん)
応神天皇(おうじんてんのう)
千代春稲荷の大神
御霊の大神

(御祭神は蘇我比咩神社ホームページのまま)

青春18きっぷでめぐる千葉の姫神様の三つ目の神社は、JR蘇我駅の近くにある蘇我比咩神社に参拝させて頂きました。
蘇我比咩神社はそがひめ神社とお読みするようです。
お名前のとおり、蘇我氏のお姫様を祀る神社のようです。

千葉県のにある上総国一之宮の玉前神社、そして上総国二之宮の橘樹神社と参拝させて頂こうと思い立った際、千葉県は姫神様を祀る神社が多い気がするなぁ、と感じました。
(香取神宮に参拝させて頂いた際も、姫神様を祀る神社があるなぁと思っていたので)

それならば、
旅の道中に姫神様を祀る神社があるはずだ!
と思い、JRの道中を探していると、こちらの蘇我比咩神社をお見かけしたのです。

きっかけは姫神様を祀る神社を探していたことです。
しかしいざ参拝させて頂くと、いろいろなことに気づかせてくれる神社でした。

一つは、
蘇我比咩神社の主祭神である蘇我比咩大神(そがひめのおおかみ)が、弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)と共に荒れる海に身を捧げたらしいこと。

弟橘姫命を祀る橘樹神社のご紹介はこちらをクリックしてください。

一つは、
蘇我氏の一族が代々『春日神社(大社)』と『比咩神社』を守護神としていただろうこと。

蘇我比咩大神が弟橘姫命に同伴していたこと、そして蘇我氏が春日神社と比咩神社を守護神としていたこと。
どちらも個人的にたいへん興味を惹かれることです。

それというのも、
神社と御祭神から歴史を辿っていくうえで、蘇我氏を知ることが重要だということに気がついたからです。
蘇我氏といえば時の権力者。
そして時の権力者は、神社の形でさえ意のままにしていたのではないでしょうか?

今回は蘇我比咩神社のご紹介と同時に、蘇我氏についても考察していきたいと思います。




蘇我氏に関わりの深い蘇我比咩神社へのアクセス

〒260-0822 千葉県千葉市中央区蘇我2丁目2−7
JR蘇我駅から徒歩15分ほど

道中は平坦なので、近く感じるぞ!

いざ、 蘇我比咩神社に参拝

蘇我比咩神社は住宅地のなかに佇む神社です。

こちらが鳥居です。

こちらが境内の様子です。
写真の隅に自転車が見えるように、境内は生活感が溢れていたりします。

蘇我比咩神社の本殿(拝殿)

鳥居からまっすぐに伸びる参道の先に本殿(拝殿)があります。

蘇我比咩神社の摂末社

本殿(拝殿)を向いて左手には摂末社があります。

二社が合祀されているようで、扁額には大三輪神社大山阿夫利神社とあります。
大三輪神社は奈良にある大神神社(おおみわじんじゃ)と同じ神社かと思われます。

ちなみに蘇我比咩神社から細い生活道路を挟んだ先に三峯神社があります。

蘇我比咩神社にある大三輪神社も大山阿夫利神社も、こちらの三峯神社も東を向いています。
社が日の出の方を向いていると同時に、参拝者は西方にある各山々を拝むことができるようになっているのかもしれません。

ちなみに各神社の御祭神は、

大三輪神社(大神神社)。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。
出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一とされることもある神様です。

大山阿夫利神社。
大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)のお父さんとされたり、多くの神様と関わりのある神様です。やはり大きな山というのは、それだけ人々の信仰を集めたということでしょうか。

三峯神社。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)。
『国生み』の神様とされています。
蘇我比咩神社の主祭神である天照大御神のご両親ともされている神様です。

蘇我比咩神社の御由緒

鳥居の右手に由緒書きがあります。

長いのまとめますと、

日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国地方を統一(視察?)するために軍船に乗って、千葉沖に差し掛かったとき、風雨が強くなり沈没の危機にあった。
日本武尊のお后様の弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が荒れる竜神の怒りを鎮めようと、同道してきた五人の姫たちと共に海中に身を投じた

この五人の姫のなかに蘇我大臣の比咩(姫)がいて、蘇我比咩はこの下の海岸(現在の蘇我駅の近くの海岸と思われる)に打ち上げられた。

蘇我比咩は地元の人々の看護に蘇生することができ、無事に都へと帰った

蘇我比咩神社の御由緒について詳しく知りたい方は蘇我比咩神社のホームページをご覧ください。

蘇我比咩神社のホームページはこちらをクリックしてください。

そう、
日本武尊をお救いするために海に身を投じたのは弟橘姫命だけではなかったようです。

蘇我比咩神社の主祭神となった蘇我比咩を含め、五人のお姫様が身を投じたというのです!

蘇我比咩神社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
蘇我比咩の大神(そがひめのおおかみ)
春日大明神(かすがだいみょうじん)
応神天皇(おうじんてんのう)
千代春稲荷の大神
御霊の大神

現在の蘇我比咩神社には多くの神様が祀られています。
ですが本来祀られていたのは蘇我比咩大神だったのではないでしょうか。

また、
蘇我比咩大神と同様に、春日大明神も篤く信仰されていたことが想像できます。
なぜなら蘇我氏は『春日神社』と『比咩神社』を守護神としていたとのことですから。

『春日神社』と『比咩神社』から蘇我氏について考察する

蘇我氏の守護神の比咩神社と比売大神の関係性

まずは『比咩神社』ですが、

『比咩(ひめ)』とあるので、蘇我比咩大神のことであるとも考えれます。
しかし蘇我大臣の娘である蘇我比咩を、蘇我氏の一族が代々守護神としてきたとは考えられ得ません。

そこで思い至ったのが『比咩(比売』神様です。

比売神様は八幡様に関わりの深い神様のようで、八幡様と同様に宇佐神宮の御祭神でもあります。
現時点で八幡様(八幡宮)について勉強中ですのでよく分かっていないのですが、私のなかで八幡様が謎の多い神様であるのと同様に、比売大神(ひめのおおかみ)様もまた謎に包まれています。

ですが、古来より比売大神も篤く信仰されてきたことが想像できます。
ゆえに蘇我氏の一族が代々守護神としてきた『比咩神社』とは、比売大神を祀る神社を指すのではないでしょうか。

春日大社の御祭神から見る蘇我氏と藤原(中臣)氏について

続いては蘇我氏の一族が守護神としてきたとされる『春日神社』についてです。
春日神社は春日大社を指すと考えて問題ないと思われます。
(ちなみに私は春日大社に参拝させて頂いたことがあります。それも式年造替(しきねんぞうたい)の時期だったので本殿に直接参拝させて頂けたのです! もちろん写真はない!)

さて、
春日大社の現在の御祭神といえば、

武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめのかみ)

とされています。
春日大社ホームページまま)

武甕槌命は鹿島神宮の御祭神であり、『武』の神様として有名です。
経津主命は香取神宮の御祭神であり、武甕槌命『武』の神様として有名です。(刀の神様のイメージも強い)
天児屋根命とその奥様である比売神に関しては、またの機会に詳しくご紹介させて頂ければと思います。

鹿島神宮のご紹介はこちらをクリックしてください。

香取神宮のご紹介はこちらをクリックしてください。

武甕槌命と経津主命に関する考察はこちらをクリックしてください。

さて、
春日大社の御祭神ですが、武甕槌命も、経津主命も、天児屋根命も(その奥様の比売神も)、現代だと藤原(中臣)氏の崇めていた神様とされています。

藤原(中臣)氏と蘇我氏。
両者が対立関係であり、争ったことは歴史の教科書にも載っていることです。

そして勝利を収めたのは藤原(中臣)氏。

そして蘇我氏が守護神としてきた春日神社(大社)の御祭神は、現在では藤原(中臣)氏の崇めたとされる神々が祀られています・・・。

ここから、

①もともと武甕槌命といった神々を崇めていたのは蘇我氏だった。

権力者の移ろいにより御祭神が変えられた

ことが考えられます。

いえ、
①はおそらくないでしょう。
勝者である藤原(中臣)氏が、敗者である蘇我氏の崇める神々を、そのまま崇めることはないでしょうから。

そう、
神社の御祭神とは時の移ろいと共に変わってきたのではないでしょうか。

実はこの考えはずっと持っていました。
たとえばですが、出雲大社の御祭神はもともとは大国主命(おおくにぬしのみこと)ではなく、須佐之男命(すさのおのみこと)だったともいいます。

そしておそらくそれは、事実だったのではないかと個人的には考えています。
当サイトでもご紹介させて頂いたさいたま市にある調神社(つきじんじゃ)や月読社からも、御祭神の変更が行われてきたことが推測されます。

調神社のご紹介はこちらをクリックしてください。

さいたま市の月読社のご紹介はこちらをクリックしてください。

この度、蘇我比咩神社に参拝させて頂いたことで、御祭神の変更が行われてきた可能性がまた一つ増えました(個人的に)。

そしてそのことを踏まえて神社に参拝させて頂くことで、かつての日本の姿が見えてくるのかもしれません。

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