山梨の神社④ 甲斐國三宮玉諸神社に参拝

山梨の神社④ 甲斐國三宮玉諸神社に参拝

御祭神
国玉大神
(境内由緒書きより)

甲斐國一宮浅間神社、甲斐奈神社、酒折宮、甲斐善光寺に続き、甲斐國三宮の玉諸神社にも参拝させて頂きました。
玉諸神社はたまもろ神社とお読みします。

さて、
御祭神の国玉大神はおそらく「くにたまのおおかみ」とお読みします。
また山梨県神社庁によると『国玉大明命』と表記されていたりもします。

国玉大神。
いったいどのような神様なのでしょうか。
今回は甲斐國三宮の玉諸神社をご紹介させて頂きつつも、国玉大神という神様についても考察を巡らせていきたいと思います。




甲斐國三宮玉諸神社へのアクセス

JR酒折駅から徒歩15分ほど

いざ、甲斐國三宮の玉諸神社へ参拝

こちらが玉諸神社の鳥居です。

それほど大きな鳥居ではいのですが、きれいな鳥居です。

鳥居の左手には神池があります。

玉諸神社は神池もまたきれいに整備されています。
神池には弁財天の社もあります。

参道を進み二の鳥居をくぐると、

正面に本殿(拝殿)があります。

たいへんきれいな本殿(拝殿)です。
近年建て替えられたのでしょう。
これほどきれいな本殿の建て替えができることが、こちらの玉諸神社の信仰が現代でも篤いことが見て取れます。

こちらが神楽殿です。

陽も沈みかけていたのでよくわからない写真になってしまいましたが、これはこれで味のある写真ではないでしょうか。

さて、
二の鳥居をくぐって左奥の方に進むと、不明な摂末社があります。

大きな社ではないのですが、本殿同様に整然としています。

社の手前に二本の柱が建てられています。
これはもしかして、諏訪大社などにも見られる御柱なのでしょうか?
そうだとするとこちらの社の御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)でしょうか。

と思ったりもしたのですが、山梨県神社庁によると、境内に秋葉神社と五条天神社を祀るとあります。

甲斐國三宮玉諸神社の拝殿跡のご紹介

玉諸神社が現在の位置に移られる前は、酒折駅の北側に鎮座されていたようです。
現在でも玉諸神社の拝殿跡が残っているとのことで、せっかくですので見せて頂きました。

手前の石には玉諸社参道とあります。

こちらの鳥居が玉諸神社の参道に続くのであれば、本殿(拝殿)はこの鳥居の先、山の裾野の辺りにあったのかもしれません。

もし玉諸神社が山の裾野にあったとすれば、水害が起きた際も被害を受けなかった場所にあったとも考えられます。

甲斐國三宮玉諸神社の御由緒

 社記によると日本武尊東征の御帰路、酒折の宮に滞り国中の反乱を鎮められて、景勝の地に国玉神を祀られたに始まるといふ。又、一つの珠を埋め上に杉一株を植ゑられたが、後にこれを玉室杉と称し玉諸の名起るとも伝へてゐる。桓武天皇延暦十六年神位従五位上を賜り、淳和天皇の天長三年従三位を賜り、清和天皇の貞観五年官幣を賜り勅願所ともなって、延喜式所載の式内社に列せられた。武田氏も代々祈願所として崇敬を深めたので、天正十年には滅亡の兵火にかかり焼失したが、慶長十四年再建家康より神領六拾壱石三斗余を寄進され、代々の将軍も朱印状を賜り甲州三の宮と崇敬された。又、板垣村御室山にありいつの頃かこの地に御遷座ともいふ。天長の頃より一宮、二宮、三宮と共に竜王村三社明神まで水防祭に神幸されたが、いつしかそれも絶えて久しいが平成十六年より関係者の協力により復興している。大正十一年十二月県社に列せられ、境内に秋葉神社、五条天神社を祀り、年と共に古社の風格を備へてきてゐる。
山梨県神社庁より引用)

甲斐國三宮玉諸神社の御祭神のご紹介

御祭神
国玉大神
(境内由緒書きより)

玉諸神社の御祭神の国玉大神はどのような神様なのでしょうか?
インターネットで調べた限りはこれといった情報は出てきません。

さて、
玉諸神社の由緒書きを見ると、

山々に囲まれた盆地は水路開けず大雨あればたちまちに氾濫

とあります。
また、

水害防止の為に一株の球を土中に納め、上に一株の杉を植え、神籬木として国の守り神である国玉大神を一国鎮護の神として祀った

とあります。
由緒書きから見るに、どうやらかつての玉諸神社の辺りは水害に悩まされていたようです。

確かに玉諸神社の周辺には川が流れています。
大雨が降ると川が氾濫したことは容易に想像できます。
また山梨は実際に降り立ってみると、現代でも周囲を山々に囲まれています。つまり盆地ですので、川が氾濫するとあふれ出た水の逃げ場が少なかったとも想像できます。

河川の氾濫。
つまり治水の出番です。

治水で有名な神様といえば、個人的に思い浮かぶのが須佐之男命(すさのおのみこと)です。
須佐之男命が対峙したヤマタノオロチも、斐伊川の氾濫を指すという説もありますから。

須佐之男命とヤマタノオロチと治水の関係に興味のある方はこちらをご覧ください。

また、由緒書きに、

水害防止の為に珠を土中に埋め

とありますが、これは治水工事を表しているのではないでしょうか。
土中に埋めた『珠』が何かは現時点では分かりませんが、治水の基礎工事的なものだったのかもしれません。

そして由緒書きにある、

(珠の)上に一株の杉を植え

とありますが、これは植林により堤防をを作ったのではないでしょうか。
植林は根を張ることで土を固めてくれますし、押し迫る水を防ぐ堤防にもなりそうです。

つまり国玉大神という神様は治水の技術を持つ神様だったのではないでしょうか?

さらに推測を進めますと、
国玉大神の 「くにたま』という音から、『國魂(くにたま)』と連想できます。
そして國魂といえば大國魂神社が連想されます。

大國魂神社の御祭神といえば大国魂大神(おおくにたまのおおかみ=大国主命)であり、そして大国主命(=大己貴命(おおなむちのみこと))といえば須佐之男命の系譜とされています。
須佐之男命の系譜ということは出雲の系譜、そして出雲といえば治水技術を持っていたはずです。

玉諸神社の御祭神の国玉大神=大国主命とすれば、治水技術を持っていることにも頷けます。

さて、
ここから国玉大神のお姿を想像してみると、

日本武尊に同伴していた出雲系の神(偉人)

ということが推測できます。
日本武尊が東征の帰路で土地の水害を知り、出雲系の従者を玉諸神社の地に封じられたのかもしれません。
(もっとも日本武尊の東征と関係なく出雲系の民がやってきた可能性もある)

ずいぶんと話は脱線しましたが、現代の山梨にある玉諸神社から出雲系の民とのつながりが垣間見えた気がします。
(根拠のない推測ですけど)

何気なく参拝させて頂いた甲斐國三宮玉諸神社でしたが、超個人的な考察は思いもよらぬ方向で飛躍しました。
やはり実際にいろいろな神社を参拝させて頂くと閃くものがあります。

もっとも今回の考察はどこまでも超個人的な考察です。
これといった根拠はありませんのでご注意ください。

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