髪にゆかりのある関神社がある王子神社に参拝

髪にゆかりのある関神社がある王子神社に参拝

御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)

JR王寺駅から飛鳥山公園を抜け、そしてJR駒込駅へ向かう道中にある神社に参拝させて頂きました。

道中のダイジェストはこちらをご覧ください。

東京の神社は興味を惹かれない。
そう思っていた時期が私にもありました。

しかし東京の神社もいざ参拝してみると興味を惹かれる神社がたくさんあります。

こちらの王子神社もまた、興味の惹かれる神社です。
御祭神は紀州の熊野三山から勧請したという、東京の神社によく見られる形式です。
また、境内には『髪』に関する神社があります。

今回はそのような特徴を持つ王子神社のご紹介です。




王子神社へのアクセス

〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1−12
JR王寺駅から徒歩5分ちょっと

道中に親水公園があり、夏場は涼めそう。

いざ、髪にゆかりのある摂末社のある王子神社に参拝

こちらが王子神社の大鳥居です。

大きな鳥居です。
余談ですが、大鳥居の脇にはセブンイレブンがあります。

こちらが境内の様子です。

青々と茂る木々が美しい境内です。

鳥居をくぐった正面に本殿(拝殿)があります。

立派な本殿(拝殿)です。

そしてこちらが狛犬です。

一部着色されていて、まるで歌舞伎に出てきそうです。

本殿(拝殿)の左手には謎の空間が広がっています。
いったいなんのための空間なのでしょうか?

また鳥居をくぐって左に進むと、髪にゆかりのある神社、髪の祖神・関神社があります。

王子神社にある摂末社はこちらの関神社だけのようです。

また、
鳥居をくぐってすぐの右手に王子神社の由緒書きがあります。

由緒書きの下には『若一王子縁起』絵巻と、

王子田楽に関する記述があります。
なんとQRコートつきです!!!

また、
本殿(拝殿)右手には社務所があり、私が参拝時はたいへん盛況でありました。
きっとなにか盛況な理由があるのでしょう。
(確認していない)

ちなみにおみくじも社務所で頂けると思われます。
おみくじの神歌。
おしゃれです。

ちなみにこちらのおみくじの神歌の奥に進んでいくと、

おしゃれな道を抜けて親水公園へと出られます。

この道を下っていくと、

涼やかな水場が出迎えてくれるのです。

王子神社と髪にゆかりのある関神社の御由緒

王子神社の御由緒

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称で、世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。
創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。
戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しております。
徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。
三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。
特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。
明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、准勅祭社を定めました。当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。
戦前は「太田道灌雨宿りの椎」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟も修行したと伝えられますが、戦災で東京都指定天然記念物の大イチョウを残し、ほとんどを焼失したことは誠に残念なことです。
戦後は氏子一同、復興に努め、昭和39年の第一期、昭和57年の第二期造営を経て、黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りとして社殿を再建、境内を整えて現在の景観となっております。
王子神社ホームページより引用)

王子神社の御由緒を知ると、あらたに王子大神なる神様の存在を知ることができます。
どうやら王子信仰というものがあるらしく、

神が王子の姿をとって現れる (王子神) とされる信仰八幡信仰 (若宮八幡) ,八王子信仰 (日吉祇園社) ,熊野信仰 (熊野神社) などがある。有名神社の信仰が広まるにつれて,その王子神が各地に勧請され,王子信仰は全国に広がっていった。
コトバンクより引用)

こちらの王子神社もその王子信仰であり、そもそも王子という地名は王子信仰から来ているようです。

また境内にある若一王子縁起も、王子信仰に関係あるようです。

そもそも若一王子とは、

若宮一王子の略。和歌山県熊野神社摂社の諸王子のなかで第1位の王子をいう。十一面観音の垂迹といわれ,その祭神はスヒジニノミコトとも,アマテラスオオミカミともいう。
コトバンクより引用)

とのことらしいです。

王子信仰と熊野の神様。
いったい熊野ではどのような信仰があったのでしょうか?

現時点では整理がつきませんので、またいずれ考察してみたいと思います。

髪にゆかりのある関神社の御由緒

全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、姉「逆髪姫」のために髢・鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また蝉丸公は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の御尽力により、昭和34年に再建されました。境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されています。
王子神社ホームページより引用)

御祭神
蝉丸公
逆髪姫
古屋美女

全国でも珍しい髪にゆかりのある神社、関神社。
そもそも御祭神の蝉丸公とは、

平安時代前期の歌人宇多天皇の皇子敦実親王の雑色 (ぞうしき) とも,醍醐天皇の第4皇子ともいい,逢坂の関あたりに住んだ。盲僧。『後撰集』以下に4首入集。『今昔物語集』巻二十四,『平家物語』巻十一にみえ,能および近松門左衛門浄瑠璃に『蝉丸』がある。琵琶名手で,逢坂関明神に祀られている。

能の曲名。四番目物 (→雑物 ) 。世阿弥作とする説もある。延喜帝の第4子蝉丸 (ツレ) は,生れながらの盲目ゆえに,勅諚によって清貫に伴われ,逢坂山で髪をおろす (物着) 。蝉丸は前世の業障を現世で果させんとの父帝の慈悲と,琵琶を胸にひとりわら屋に残る。そこへ蝉丸の姉宮逆髪 (シテ) が,髪の逆立つ異形の体で現れ,狂乱して (カケリ) ,わら屋の内の琵琶の音に耳を留め,蝉丸と会う。2人はわが身の不遇を嘆くが (クセ) ,また逆髪はいずこともなく去っていく。本曲を素材として浄瑠璃に移したのが,近松門左衛門作『蝉丸』で,元禄 14 (1701) 年大坂竹本座で初演された。

コトバンクより引用)

百人一首でも有名な歌人のようです。

境内にある関神社の由緒書きによると、

蝉丸公は逆髪に悩む姉君(逆髪姫)のために、侍女の古屋美女(ふるやのびじょ)に命じて『かもじ・かつら』を考案して髪を整える工夫をした

のだそうです。
『かもじ』とは現代でいうウィッグみたいなものでしょうか。

また、
蝉丸公は滋賀県は大津の逢坂山にある蝉丸関神社に祀られているのだそうです。

しかし日本で唯一の『髪』の神社といえば、京都は嵐山にある御髪神社が有名です。

こちらの関神社(関蝉丸神社)も髪にゆかりのある神社かとは思うのですが・・・

御髪神社とはまた趣旨が違うのでしょうか?

王子神社の御祭神のご紹介

御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)

表記は王子神社ホームページまま

王子神社の御祭神は紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の神様を勧請されています。

新宿にある新宿十二社熊野神社のご紹介の際にも述べたのですが、実は私は熊野三社についてあまり理解できていません。
いずれ熊野三社に参拝できた際には、熊野三社や御祭神について詳しくご紹介させて頂ければと思います。
どうしても熊野三社の御祭神が気になる!
という方は、新宿十二社熊野神社のご紹介をご覧ください。
簡単にですが熊野三社についての説明があります。

新宿十二社熊野神社と熊野三社に興味のある方はこちらをご覧ください。

さて、
それでは王子神社の御祭神を簡単にご紹介いたします。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は天照大神や須佐之男命のお父さん。

伊邪那美命(いざなみのみこと)は天照大神や須佐之男命のお母さん。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は三貴子の一柱(他は須佐之男命と月読命)であり、高天原を治める神様で、太陽を神格化した神様であったり、天皇家の祖神とされる神様でもあります。

速玉之男命(はやたまのおのみこと)は

日本書紀」にみえる神。
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)の伊奘冉尊(いざなみのみこと)をおとずれたとき,みないでほしいといわれたその姿をみてしまい,離縁することになった。その約束をかためるためにはいた(つば)から生まれた神。唾を約束をかためる意につかうことは,海幸山幸神話にもみえる。
コトバンクより引用)

とのこと。
個人的にはどのような神様か気になるのですが、いまはよくわかっていないのでまたいずれ。
ちなみにご神徳に『縁切り』があるのだとか・・・。
以前参拝した横浜のとある神社に縁切りを祈願できる神社があったような気がします。

事解之男命(ことさかのおのみこと)ですが、よくわからない神様です。
上にある速玉之男命が唾からお生まれになった神様とされていますが、事解之男命は続いてお生まれになった神様だそうです。
なんでも速玉之男命がお生まれになった後に、掃きはらってお生まれになった神様が事解之男命なのだとか・・・。

やはり熊野の神様を語るには、私はまだまだ知識不足のようです。
しかし今回王子神社に参拝させて頂いたことで、熊野の神様に対する信仰が少しわかった気がします。
熊野の神様についてはまた理解が深まった際にご紹介させて頂ければと思います。

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