今回の目次
長野は松本の神社③立派な御柱がそびえる須々岐水(すすきがわ)神社に参拝
御祭神
須々岐水神(すすきがわのかみ)
鎌倉時代以降の御祭神
建御名方命(たけみなかたのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)
さて、
信濃國の惣社(そうざ)・伊和神社を参拝させて頂いた次に向かったのが、
こちらの須々岐水神社です。
須々岐水神社はすすきがわ神社とお読みするようです。
初見ではまず読めないですね。
すぐ近くを流れる薄川にお名前の由来があると思われます。
御祭神は御由緒によると須々岐水神(すすきがわのかみ)。
後世になって建御名方命(たけみなかたのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)を祀るようになったようです。
そしてこちらの須々岐水神社ですが、
本殿を囲むように御柱がそびえ立っています。
境内にある由緒書によると、
中世になって諏訪同様の御柱祭が行われるようになったとあります。
立派な御柱がそびえ立つ須々岐水神社へのアクセス
〒390-0221 長野県松本市大字里山辺
国宝・松本城からだと徒歩40分ほど。
バスだと
松本バスターミナル1番線:入山辺線⇒里山辺出張所下車(約20分)神社まで徒歩7分
とのこと。
(松本市公式観光情報より)
いざ、御柱そびえる須々岐水神社に参拝
須々岐水神社は松本の街中から離れたところに鎮座されています。
ですので周囲の景色もすばらしい。
なぜか巨石があります。
意味があるかもしれませんので載せておきます。
さて、
巨石の反対側に回ったところに須々岐水神社の鳥居があります。
鳥居の近くには道祖神もいらっしゃいます。
須々岐水神社の辺りも道祖神の信仰が篤いのでしょうか。
鳥居をくぐると、もう一つ鳥居があります。
扁額には『薄宮大神』とあります。
後世になって御祭神が建御名方命と素戔嗚命に変わっても、
土地の方にとっては須々岐水神(すすきがわのかみ)が御祭神なのかもしれません。
境内には樹々がたくさんそびえています。
それらの樹々に囲まれて、本殿(拝殿)があります。
ちなみに須々岐水神社の本殿は大きく空間を取っています。
見づらいですが、本殿の広さが少しは分かって頂けるかと。
須々岐水神社の御柱のご紹介
須々岐水神社には御柱があります。
諏訪大社と同じように、
本殿向かって右手前の御柱がいちばん大きな一の御柱であり、
時計回りに二の御柱があり、徐々に小さな御柱になっていきます。
こちらが一の御柱です。
本殿(拝殿)と比べると、御柱の大きさがよく分かります。
ちなみにこちらが四の御柱です。
一の御柱と比べると小さく見えます。
須々岐水神社の摂末社のご紹介
須々岐水神社の境内にはいくつかの摂末社があります。
鳥居の左手にあるのが不明な摂末社です。
昔ながらの社も複数あります。
そして!
鳥居の右手にあるのが、聖徳大神を祀る摂末社です。
扁額には『櫻之宮聖徳大神』とあります。
どうやら聖徳太子を祀る社のようです。
なぜ須々岐水神社のある地に聖徳太子を祀る社があるのか?
現時点では不明です。
須々岐水神社の本宮のご紹介
須々岐水神社には本宮があります。
奥社もあるようですが、残念ながら私は参拝できていません。
こちらが須々岐水神社の本宮です。
須々岐水神社の本宮は一度鳥居を出て、
右にぐるっと回った、すぐ近くに鎮座されています。
本宮の後方は茂みで隠されています。
すばらしい配慮です。
須々岐水神社の御由緒のご紹介
長いですので冒頭だけ抜粋しますと、
古来より須々岐水神と称され、
この地の開拓の祖神として薄川の神を祀り、
山家(やまべ)郷民の信仰を得て現在に及んでいる。
その創始は薄川流域に古代人が定着し農業が始められた頃と推定される。
とあります。
須々岐水神社の御由緒が示す古代人の定着とは?
気になります。
薄川を神と崇めるというのは分かる気がします。
水源は生活に欠かせないものであり、実りをもたらしてくれますから。
そして反面、氾濫という命の危機に直結するものでもあったはずです。
ゆえに人々は薄川に畏敬の念を抱き、
神と讃え祀ったのでしょう。
さて、
それでは薄川を神と崇め祀ったの人々とは?
薄川流域に定着した古代人とは?
気になります。
何が気になるって、
須々岐水神社の創建当初の神様が建御名方命や素戔嗚命じゃないってことです。
須々岐水神社の創建当初から建御名方命や素戔嗚命が祀られていたのであれば、
建御名方命や素戔嗚命が土着の人々に治水や稲作や製鉄の技術を伝え、
神と崇められたとすんなり考えられます。
しかし、
当初人々が崇めたのは須々岐水神。
果たして須々岐水神をはどのような神様だったのでしょうか?
(純粋な自然信仰の形でしょうか)
気になりますが、
現時点では答えが見つかりそうもありません。
いずれ何か分かる日が来たら、またご紹介させて頂きます。