今回の目次
長野は松本の神社⑧週末ただたか史上もっとも大きなお稲荷様、瘡守稲荷大明神に参拝
御祭神
お稲荷様(推測)
ずいぶん久しぶりの更新です。
コロナウィルスの蔓延により、いろいろとたいへんなご時世です。
さて、
気を取り直して、
今回は松本駅近くにある、巨大なお狐様がいっらしゃる瘡守稲荷大明神のご紹介です。
瘡守稲荷大明神はかさもり稲荷神社とお読みします。
瘡守稲荷大明神。
あまりにも大きなお狐様がいらっしゃるので、
お狐様のご紹介をしようと思っていただけでした。
しかし、
瘡守稲荷大明神のお名前からは様々な推測ができます。
いつの時代も人々は病に苦しまされてきたのでしょう。
濃厚接触が危ぶまれている昨今だからこそ、
過去から学ぶ時なのかもしれません。
松本駅からほど近い瘡守稲荷大明神へのアクセス
〒390-0811 長野県松本市中央1丁目17−11
JR松本駅から徒歩5分ほど
松本駅の繁華街は歩いているだけでも楽しいぞ!
そしてかなり栄えている・・・。
もっと素朴な街を期待するのは我がままでしょうか?
いざ、巨大なお狐様がいらっしゃる瘡守稲荷大明神に参拝
瘡守稲荷大明神はこじんまりとした神社です。
上の写真に写る範囲が瘡守稲荷大明神の全貌です。
境内はこのような感じです。
稲荷神社ですので、お狐様がいらっしゃるいます。
しかし!
社殿の脇には、
巨大なお狐様がいらっしゃるのです!
週末ただたか史上、もっとも大きなお狐様です。
この巨大なお狐様を見るだけでも、
参拝の価値があるのではないでしょうか。
四柱神社や松本城の近くにありますので、
一緒に参拝されるのもよいかもしれません。
瘡守稲荷大明神のお名前から考察してみる
たいへん巨大なお狐様がいらっしゃることに興味を惹かれる瘡守稲荷大明神ですが、
そのお名前もたいへん興味深いものがあります。
瘡守稲荷大明神(かさもりいなりじんじゃ)。
お名前にある『瘡(かさ)』ですが、
1 皮膚のできもの、はれもの。また、傷の治りぎわにできるかさぶた。
2 梅毒の俗称。① 天然痘、できもの、はれものなど、皮膚病の総称。また、傷の治りぎわにできるかさぶたをもいう。※書紀(720)敏達一四年三月(前田本訓)「天皇と大連と卒(にはか)に瘡(カサ)患(や)みたまふ」※米沢本沙石集(1283)二「むねに疵ありて、かさと成り」② 特に、梅毒をいう。※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)四「傾城おほくあつまりて、市立(いちだち)の人に契る。〈略〉瘡(カサ)をうつりて、一期やまひになるもあり」(いずれもコトバンクより引用)
上記のような意味があるようです。
神社に深い興味を持っている方ですと、『疱瘡(ほうそう)』という言葉を想起される方もいるのではないでしょうか。
さて、
このような時期に、
このような時期だからこそ、
伝染病について触れたいと思います。
神社と伝染病(疫病)の関係性
人の歴史と切っても切り離せないものの一つに『伝染病』があります。
神社を参拝していくと、
人々が神様に伝染病の平癒を祈願したであろう神社に巡り逢うことがあります。
たとえば疱瘡神社などです。
そして疱瘡神社などの御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)が祀られていることが多いように思います。
おそらく牛頭天皇(ごずてんのう)や蘇民将来の逸話から、須佐之男命が疱瘡神社に祀られることが多いのでしょう。
※牛頭天皇は須佐之男命の本地仏とされている
※蘇民将来の逸話もまた伝染病(疫病)に関する話
牛頭天皇
インドの祇園精舎の守護神。祇園天王,武塔天神,天王ともいう。スサノオノミコトの本地仏と説かれ,除疫神として,京都八坂神社,愛知津島神社に祀られる。
(コトバンクより引用)
本地仏
本地垂迹説の流行に伴い、日本の神の本地とされた仏・菩薩(ぼさつ)。
(コトバンクより引用)
蘇民将来
1 神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名。→ 茅(ち)の輪
2 疫病よけの護符の名。柳の木を六角または八角の塔状に削り、「大福長者蘇民将来子孫人也」などと墨書し、小正月に諸所の社寺で分与する。説話の主人公の名、転じて護符の一種。『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文によると、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯(あわめし)などを御馳走(ごちそう)になった。そこでそのお礼にと、「蘇民将来之(の)子孫」といって茅(ち)の輪(わ)を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げた。はたして、まもなくみんな死んでしまったが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったという。
(コトバンクより引用)
瘡守稲荷大明神と伝染病(疫病)の関係性を推測する
こちらの瘡守稲荷大明神もまた、伝染病の平癒を祈願する神社だったのではないでしょうか。
瘡守稲荷大明神のお名前にある『瘡(かさ)』の意味は前述したとおりです。
その『瘡(かさ)』が示すように、
瘡守稲荷大明神は『疱瘡』の平癒を祈願した神社だったのかもしれません。
しかし個人的には、
『疱瘡』よりも『梅毒』の平癒を祈願した神社だったのではと考えます。
梅毒といえば、もっとも有名な性病です。
これまでも長野の神社のご紹介で、幾度となく古代から続く長野の生殖器信仰について述べてきました。
そもそも一昔前の日本は性に関しておおらかだったそうです。
(良い面と悪い面の両面で)
特に長野の地は、性におおらかな土地だったと考えられます。
そしてそれは、多くの性交があったことを指します。
そして性交の数が増えるほど、梅毒といった性病に感染する割合も増えることでしょう。
おそらく長野の地では、昔から性病がつきものだったと推測されます。
(長野に限ったことではいでしょうけど)
またかつての松本(横田の辺り?)は歓楽街だったそうです。
歓楽街といえば、性的接触が多々ある場所です。
そしてそこで働いていた女性たちは、
必然、梅毒に罹るリスクが高かったと考えられます。
そのような女性たちが、
瘡守稲荷大明神や社宮司神社に祈願したのかもしれません。
世界的にコロナが蔓延する時代だからこそ、
過去の過ちを繰り返したくないものです。