さいたま市南西部の神社⑥ 身形神社に参拝

セイコノヨシが自生する身形神社に参拝

御祭神
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
狭依比賣命(さよりひめのみこと)(=市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))
多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)

こちらの身形神社は、みのかた神社とお読みします。

セイコノヨシが自生する神社のようで、

それに乗じてか境内はまるで植物園のように様々な植物が植えられています。

今回はセイコノヨシをはじめ、たくさんの植物に囲まれた身形神社のご紹介です。

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身形神社へのアクセス

JR埼京線 与野本町駅から徒歩25分ほど

ちょっとアクセスは不便です。

いざ、身形神社に参拝

こちらが身形神社の入り口です。

鳥居もこちら一つだけ。
鳥居の右手には由緒書きと、

身形神社の文化財のセイコノヨシと雨乞い絵馬のご紹介があります。

鳥居をくぐると本殿(拝殿)があります。
本殿を隠すかのように聳える松がまたおしゃれです。

右方向の足元に目を移すと

小さな水車があります。
ちなみに足元は橋になっています。

境内はだいたいだい5メートル四方ぐらいです。
その中に、本殿を丸く囲うように水場となっています。

というよりも、本殿が浮島にあるといった方が正しいですかね。
水の神様を祀る神社によく見られる形です。

本殿の右手前にはセイコノヨシ(たぶん)が茂っています。

本殿の右横の写真です。
数々の植物が植えられていて、名称も分かるように札が建ててくれています。

このようにいくつもの種類の植物が、本殿を囲むように植えられています。

また境内には鯉や鴨も生息しており、まったりと過ごすことができます。

本殿の左手にはよし竹七福神がいらっしゃいます。

こちらは七福神と手水舎の御神水のご紹介。
御神水は地下100メートルからポンプでくみ上げているのだとか。

御神水は竜の口から出ています。
こちらもまた緑に覆われています。

こちらの七福神がいらっしゃることからも、身形神社が七福神と関係のある神社なのだと考えられます。

由緒書きによると、江戸時代には弁天社とも呼ばれていたそうです。
浮島(周囲を水に囲まれた島)に祀られている神様は弁財天が多いですからね。

ちなみに、

身形神社の入り口の右手には、

『毘沙門天跡』の石碑があります。
おそらくかつてはこの辺りに毘沙門天も祀られていたのでしょう。

身形神社の御祭神

御祭神
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
狭依比賣命(さよりひめのみこと)(=市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))
多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)

御祭神は宗像三女神です。

多紀理比賣命、狭依比賣命(=市杵島姫命)、多岐都比賣命といえば、天照大御神と須佐之男命の誓約の際にお生まれになった神様です。

誓約の際、須佐之男命の十拳剣(とつかのつるぎ)を天照大御神が噛み砕いた際にお生まれになった神様です。

よって天照大御神の御子神とされていますが、見方によっては須佐之男命の御子神と取れなくもない神様なのかなと考えています。
(須佐之男命の所有物からお生まれになっているので)

身形神社の御由緒

由緒書きによると、こちらの身形神社は前回ご紹介させて頂いた月読社の末社のようま形で祀られてきたとあります。

そのことから、御祭神が宗像三女神であるのは、伊勢の神宮に祀られている天照大御神と関わりによるものだとあります。

そしてこちらの身形神社の起源ですが、あの在原業平にあるらしいのです。

東国に下った(逃げて来た?)在原業平が、851年に宗像三女神の分霊をこの地に鎮め祀り、身形社と称したことに始まるとのことです。

また、
在原業平が持っていた筆を地に挿したところ、その筆軸が葭竹(よしたけ)に変化して、『西湖の葭(セイコノヨシ)』の群落になったとも。

セイコノヨシ

『西湖の葭(セイコノヨシ)』とは、中国の西湖にちなんだ名称だそうです。

こちらのセイコノヨシは、浦和市(現さいたま市)の指定天然記念物だそうです。

つながるさいたま市南西部の神社

月読社に続き、身形神社を参拝させて頂いたことで二社が関わりのある神社であることが判明しました。

もっとも近場にある神社というのは関係性があるものも多く、月読社と身形社が関わりのある神社であることは当然とも言えます。

しかし気になるのは御祭神ですね。

身形社の御祭神が宗像三女神であるのは、由緒書きによると伊勢の神宮の天照大御神と関わりによるものだろうとある。
(一方では在原業平が宗像三女神を分霊したともあるんですけどね)

しかしそうなると、月読社の主祭神はあくまでも月読命である。
月読命はそれほど宗像三女神と関わりのある神様とは思えない。
一時は氷川社と称し、主祭神が須佐之男命となったこともあるので、須佐之男命であれば宗像三女神と関わりが深いと言える。

だが、月読社であれ氷川社であれ、その主祭神は天照大御神ではない。

現在の月読社の摂末社の稲荷社に、合祀神として大日孁命(おおひるめのみこと)=天照大御神が祀られているが、あくまでも主祭神ではない。

それなのに身形神社の由緒書きには伊勢の神宮の天照大御神の関わりによるものだとあるのは不思議である。
(神田の初穂米を伊勢の神宮に奉納していたという関係性はあるが)

私が偏った見方をしていることは否めないが、どうも月読命と天照大御神の関係性が気になってしまう。
より正確に記すなら、大日孁命と天照大御神の関係性、そして大日孁命と月読命の関係性が気になるのである。

もっとも現時点では勉強不足のため推測(妄想?)の域を出ないので、何らかの答えを見つけるためにも、じっくりと日本の神社を参拝していきたいと思います。

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