山形駅の神社① 水野忠元公を祀る豊烈神社に参拝

山形駅からほど近い水野忠元公を祀る豊烈神社に参拝

御祭神
豊烈霊神(水野忠元公)
英烈霊神(水野忠邦公)
八坂大神(素盞雄尊)
稲荷大神(倉稲魂命・うかのみたま)
山ノ神(大山祇神)
水野三郎右衛門元宣公以下明治維新殉難者24柱

先日山形駅で降りた際に、これ幸いと山形駅から歩いて行ける神社に参拝させて頂きました。
実際に山形駅近くの神社に参拝させて頂くと、御祭神が出雲系の神様が多いことがわかりました。
(もっともほんの少しの神社しか参拝できていないんですけどね)

さて、
まずご紹介させて頂くのが豊烈神社です。
豊烈神社はほうれつ神社とお読みするようです。

主祭神は豊烈霊神(水野忠元公)、もしくは豊烈霊神(水野忠元公)と英烈霊神(水野忠邦公)と思われます。

歴史好きの方には馴染みのあるお名前なのかもしれませんが、私は初見のお名前でした。

山形駅の近くの他の神社に興味のある方はこちらをクリックしてください。




山形駅から水野忠元公を祀る豊烈神社へのアクセス

豊烈神社 〒990-0045 山形県山形市桜町7−47

JR山形駅から徒歩10分ちょっと

山形駅周辺は普通に都市なので、「山形に来た!」といった感じはないぞ!

いざ、山形駅からほど近い豊烈神社に参拝

こちらが境内の入り口です。

左手に由緒書きがあります。

鳥居の手前、右手には銅像があります。

水野三郎右衛門元宣公の像とのことです。

こちらが鳥居です。

境内はそれほど広くなく、鳥居をくぐった正面に本殿(拝殿)があります。
参拝した日は茅の輪くぐりがありました。
夏越の祓の時期でしたので。

参拝方法に則って、私も茅の輪をくぐらせて頂きました。

こちらが本殿(拝殿)です。

右手前に見えるのが御神木です。

本殿(拝殿)の右手にあるのが香澄稲荷神社です。

こちらの豊烈神社の摂末社は香澄稲荷神社だけのようです。

豊烈神社の御由緒

豊烈神社の御由緒に興味のある方は豊烈神社の公式ホームページをご覧ください。
(あまり詳しく載っていないんですけどね)

豊烈神社公式ホームページはこちらをクリック

豊烈神社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
豊烈霊神(水野忠元公)
英烈霊神(水野忠邦公)
八坂大神(素盞雄尊)
山ノ神(大山祇神)
水野三郎右衛門元宣公以下明治維新殉難者24柱

こちらの豊烈神社の主祭神は豊烈霊神(水野忠元公)、もしくは英烈霊神(水野忠邦公)と合わせて二柱の神様(偉人)と思われます。

ですが、
水野忠元公と水野忠邦公について私が詳しくないので多くを語ることができません。
そもそも、私にはなぜ水野忠元公と水野忠邦公が山形にある豊烈神社に祀られているのかもよくわかっていないのです。

水野忠元公を調べると、どうも浜松城の城主であったようなのです。
その水野忠元公がどういった経緯で山形の地にある豊烈神社に祀られるようになったのか・・・。

謎ではあるのですが、私が知りたいと強く思う神様は古代や神話の時代の神様です。
ですので水野忠元公については申し訳ありませんが、週末ただたかでは追及しません。

さて、
こちらの豊烈神社には八坂大神(素盞雄尊)と山ノ神(大山祇神)が祀られています。
神仏習合の名残でしょうか?

八坂大神(素盞雄尊)は須佐之男命(すさのおのみこと)。
天照大御神の弟神でもある、たいへん有名な神様。
天津神であるとも、国津神(出雲系の神様)であるともいえる神様です。
また、東北の先住民(蝦夷)にとっては崇敬の対象ではなく、侵略者(出雲系民族)の崇めていた神様だったのかもしれません。
(まだまだ情報が不足しているので、推論にすぎません)

山ノ神(大山祇神・おおやまつみのかみ)はお名前のとおり山の神様です。
山形の地は県の名前に『山』が入るぐらいですから、それはもう山がたくさんあるのでしょう。
ですので、山がたくさんある土地で大山祇神が祀られていることは、不思議なことではないと思われます。

豊烈神社の摂末社のご紹介

香澄稲荷神社

御祭神
稲荷大神(倉稲魂命・うかのみたま)

御祭神の倉稲魂命はお稲荷さん。
稲作の神様であり、日本中で祀られている神様でもあります。

ちなみに本殿に祀られている素戔嗚尊(須佐之男命)の御子神とされていたりもする神様です。

豊烈神社参拝後記

まず主祭神と思われる水野忠元公と水野忠邦公が祀られていることに驚きました。

神社には近代の偉人が祀られていることも多々あります。
明治神宮には明治天皇が祀られていますし、乃木神社には乃木希典が祀られていたりします。
また、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が祀られている神社もあります。

ですので、近代の偉人が祀られてもなにも不思議はありません。

ですが、
なぜ水野忠元公と水野忠邦公が山形の地に祀られているんでしょうか。

その答えを私は持ち合わせていませんが(週末ただたかとして答えを追及する予定もありません)、水野忠元公と水野忠邦公が山形の人々にとって、縁の深い偉人なのかもしれません。

やはりその土地に行くと、思いもよらぬ発見に出会うことがあるものです。

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