今回の目次
長野は松本の神社②信濃の惣社(総社)があった場所にある伊和神社に参拝
御祭神
不明瞭
長野は松本の神社シリーズ②は、
松本城を東に進んだ先に鎮座する伊和神社のご紹介です。
伊和神社はいわ神社とお読みするようです。
さて、
こちらの伊和神社ですが、たいへん重要な神社であったといえそうです。
それというのも、こちらの伊和神社は信濃國の惣社(伊和神社の由緒書によるとそうざと読む)。
惣社は総社(そうしゃ・そうじゃ)と同じ意味のようです。
つまり、
こちらの伊和神社が信濃國の行政の中心にあった可能性があるのです。
惣社・総社とは
国・郡・郷など一定地域内にある神社の祭神を1ヵ所に勧請し祀った神社。総社とも記す。国ごとに設けられた一国の惣社が最もよく知られる。これは国司が管内の諸社に巡拝し幣帛を奉る行為(神拝という)を省くため,平安時代後期に至り,諸社を国衙(こくが)・国府近くに合祀したものとされ,第一義的には国衙における神事執行施設であった。また惣社では国司の着任儀式が行われたことが知られ,国衙行事の重要な施設でもあった。惣社の史料上の初見は,承徳2年(1098年)因幡(いなば)国守に任じられた平時範(ときのり)が,翌3年任国に向かった時の日記《時範記》同年2月条とされ,美作・因幡国境での境迎えの儀や因幡国衙での儀式の次第が記されている。中世・近世にもさまざまな地域における惣社の称がみられた。地名化の例として岡山県総社市などがある。
(コトバンクより引用)
信濃國の惣社・伊和神社へのアクセス
松本城から徒歩30分ほど
道中は生活道路であり、
わりと道幅も狭いので参拝の際は注意が必要だ!
いざ、信濃國の惣社・伊和神社へ参拝
こちらの伊和神社ですが、住宅街にひっそりとたたずんでいる神社です。
鳥居もそれほど大きなものではありません。
こちらが境内の様子です。
樹木に覆われた境内。
これぞ神社といった空気が漂っています。
鳥居の脇には大きな樹木があります。
大きすぎて補強が必要なぐらいです。
鳥居の正面に本殿(拝殿)があります。
本殿(拝殿)向かって左手に、蚕影(こかげ)神社があります。
以前長野市の神社に参拝させて頂いた際は蚕影神社の読みが分かりませんでしたが、
こちらの伊和神社で謎が解けました。
本殿(拝殿)右手にはこちらの摂末社があります。
それぞれの社の御祭神は不明ですが、立て札には以下のようにありました。
惣社伊和大明神
・卜部季武社
・渡辺綱社
・源頼光社
・坂田金時社
・臼井貞光社
さて、
上記のお名前は実在したとされる人物のようです。
源頼光は酒呑童子を退治したとされる英雄のようです。
そして卜部季武、渡辺綱、坂田金時、臼井貞光の四名は源頼光四天王なのだそうです。
なるほど。
源頼光と頼光四天王であることは分かりました。
しかしなぜ?
松本にある伊和神社に頼光と頼光四天王が祀られているのでしょうか?
信濃國の惣社・伊和神社の御由緒のご紹介
境内にある由緒書きに興味深い部分があります。
国府には他の国の印と正倉の鍵を祀る印鑰社(いんやくしゃ)があり、印が伊に、鑰が輪に書き間違えられて、後に伊和神社と名称が変わった
とあります。
つまり現在の伊和神社は信濃國の惣社の印と鍵を祀る社、印鑰社であったと読み取れます。
どのような理由があったかは分かりませんが、現在に至るまでに信濃國惣社の他の社は廃れ(もしくは近隣の神社か?)、印鑰社は伊和神社とお名前を変え現在まであり続けたということになります。
うーむ、なんかおもしろい。
また、御祭神に関してはやはり不明瞭なようです。
播磨国姫路の総社の御祭神である伊和大明神(=大国主神)を勧請したという考えや、
本社は源頼光公であり、末社に頼光四天王と一人武者を加えた五社(一人加えられた武者は誰?)
何気なく参拝させて頂いた伊和神社でしたが、
かつてはこの地に信濃國の惣社があったのかもしれないと考えると興味を惹かれるものがあります。
もし伊和神社が平安時代のころ信濃國の中心だったとすれば・・・
いつか何かに結び付くかもしれません。