今回の目次
鎌ケ谷の神社① 鎌ケ谷市の総守護神である道野辺八幡宮に参拝
御祭神
八幡大神(はちまんのおおかみ)
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
先日の船橋大神宮(意富比神社)といった船橋市の神社に続き、今回は鎌ケ谷市の神社のご紹介をさせて頂きます。
鎌ケ谷市は船橋市を北上したところにあります。
JR船橋駅から東武線に乗り換えて、10分ほどで着きます。
さて、
船橋市の神社が道祖神を含む海上交通の祈願や、船橋大神宮(意富比神社)の太陽神信仰から来る天照大神(あまてらすおおみか)を御祭神としているのに対して、今回参拝させて頂いた鎌ケ谷市の二社は共に八幡宮でした。
船橋市から電車で北上すること10分ほど。
しかし土地に鎮座される神社はまったくといって違った様子を見せてくれました。
まずは鎌ケ谷市の総守護神である道野辺八幡宮をご紹介させて頂きます。
鎌ケ谷市総守護神の道野辺八幡宮へのアクセス
東武アーバンパークライン鎌ケ谷駅から徒歩10分ほど
いざ、鎌ケ谷市総守護神の道野辺八幡宮へ参拝
参道を進みいざ本殿(拝殿)へ
道野辺八幡宮の道野辺は、現在の土地のお名前です。
道野辺というところに鎮座されているのです。
こちらが一の鳥居。
位置の鳥居をくぐり階段を上っていくと、
参道の先に二の鳥居があります。
こちらの二の鳥居をくぐると、
右手に摂末社があります。
さらに参道を進んだ左手にも摂末社があるのですが、実は今回写真を撮り忘れてしまいました・・・。
なんたる失態。
さて、
参道をまっすぐ進んだ先にあるのが本殿(拝殿)です。
荘厳な拝殿があります。
大きく美しい拝殿です。
一目でこちらの道野辺八幡宮が立派な神社と分かります。
これぞ鎌ケ谷市の総守護神である道野辺八幡宮の拝殿です。
写真が白飛びしているのが残念でなりません。
鎌ケ谷市総守護神の道野辺八幡宮の御由緒
境内にある由緒書きによると御祭神は八幡大神(はちまんのおおかみ)と誉田別尊(ほんだわけのみこと)の記載があります。
しかし道野辺八幡宮のホームページには誉田別尊(ほんだわけのみこと)のみ記載があります。
それというのも、八幡大神と誉田別尊が同一視される神様だからです。
ちなみに誉田別尊は第15代応神天皇の諱(いみな)です。
さて、
道野辺八幡宮の御由緒はというと、
平将門が下総を征服し中沢城(東城西城)を築城したが、その際、この地を城地の鬼門と目し、厄除け・方除けの神、弓矢兵馬の神、文武勝運守護の神として鎮祭されたと伝えられています。その他 御神徳は、厄除開運、殖産興業、学芸成就、子守育成、安全息災、勝運守護に著しく霊験あらたかなものがあります。
(道野辺八幡宮ホームページより引用)
平将門によるものだそうです。
さて、
実は現在の鎌ヶ谷市より北の神社を参拝させて頂くと、平将門のお名前をよくお見掛けします。
もちろん私も平将門のお名前ぐらいは知っているのですが、何を成した偉人なのかはよく知らなかったりします。
ですので、今後他の神社をご紹介させて頂く際に、平将門についても掘り下げていければと思います。
鎌ケ谷市総守護神の八幡神社の御祭神から超個人的に考察する
鎌ケ谷市の総守護神の道野辺八幡宮の御祭神は、八幡大神(はちまんのおおかみ)です。
八幡大神=誉田別尊(第15代応神天皇)とされていますが、個人的には本来はまったく別であったと考えています。
現時点(2018年12月)時点での推測ですが、八幡大神とはとんでもなく武勇に優れた神様(偉人?)であったと考えられます。
そして第15代応神天皇もまた、武勇や治世に優れた偉人であったため、いつしか八幡大神と同一視されるようになっていったのではないかと思っています。
さて、
それではなぜ現在の鎌ヶ谷の地に八幡大神を祀る大きな神社があるのか?
(この後ご紹介させて頂く鎌ヶ谷八幡神社の御祭神も八幡大神)
それはやはり、御由緒にあるように平将門の影響が大きいと考えられます。
八幡大神は武勇に優れた神様であったため、武士からの信仰が篤かったそうです。
平将門といえば武士です。
武士の中の武士と言えるぐらい、武士です。
その平将門ですから、八幡大神を信仰するのも当然だと考えられます。
そう、
現在の鎌ヶ谷市に道野辺八幡宮も鎌ヶ谷八幡宮といった八幡大神を祀る神社があるのは、現在の鎌ヶ谷市が平将門の勢力圏にあったからと考えられるのではないでしょうか。
そこから、
現在の船橋市には八幡大神は大きく祀られている様子はありませんでしたので、現在の船橋市は平将門の勢力圏ではなかったとも推測できます。
(ただの推測です!)
ただの推測ですが、もしかしたら平将門は航路を手にできていなかったのかもしれませんね。
さて、
現在の鎌ヶ谷市や、さらに北上した我孫子市の神社を参拝させて頂くと、平将門のお名前をお見掛けすることが多くなっていきます。
私は平氏や源氏については中学校の教科書レベルお知識しか持っていないのですが、これを機に平氏や源氏についても勉強し直そうかと思います。
というのも、
神社の御祭神の変遷を辿るうえで、時の権力者の姿を知っておく必要があるからです。
考古学的には神社の御由緒から歴史を辿るというのは信憑性がないそうなのですが、週末ただたかでは今後も神社を参拝させて頂きながら、これまでの日本の姿を追いかけていこうと思います。
(だって私は考古学者じゃないし。それにシュリーマンの例もありますし)