氷川三社をめぐる一日④ 鷲神社(さいたま市緑区)

さいたま市緑区にある鷲神社に参拝

御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)

記載はないが
鷲大明神

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日本武尊

このお名前を知らない方はいないだろう。
あらゆる方面でたいへん有名な神様(偉人)であるが、長くなるのでご紹介は機会があればということで。

鷲大明神

社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。
天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。
浅草鷲神社ホームページより抜粋)

鷲大明神こと天日鷲命について、少し思うところが出てきた。
が、まだ考えもまとまっていないので、また機会があれば。

鷲神社にいこう!

鷲神社が鎮座していることも知らなかったのですが、國昌寺を参拝後にGoogleマップを見ていたら偶然発見しました。

『鷲』という名前に興味を惹かれ、参拝せずにはいられませんでした。

というのも、
鷲という字から鷲宮神社を連想せずにはいられません。

鷲宮神社といえばアニメのらきすたの影響で初詣の参拝客が境内に溢れたとニュースになった神社です。
らきすたと知らない、という方。ご安心ください。
私も知りません。

鷲宮神社には一度参拝したことがあるのですが、非常に興味深い神社でした。

また近々参拝する予定ですので、その際は週末ただたかでもご紹介する予定です。

さて、本日はさいたま市緑区にある鷲神社をご紹介。

鷲神社へのアクセス

國昌寺から徒歩圏内です。

國昌寺からの道は農道とでも言うのでしょうか。
のんびりとした気分で自転車を漕ぐことができました。
ちなみに神社の近くの道は車は厳しい。




いざ鷲神社に参拝

鷲神社の鳥居です。

このような足が三本ずつある鳥居だと、元々寺であった可能性が高いように思います。
(もっとも寺も神社も明確に分けることは困難である)

神仏分離の際に神社と称することを選択されたのかもしれません。

鳥居をくぐって、参道です。
とてもよい雰囲気です。

本殿(拝殿)です。

脇にあった由緒書です。

気になることだらけです。
考察は後ほど。

鷲神社の摂末社

・雷電社

御祭神
不明

おそらく雷電社と思われる。
御祭神は、
火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)
大雷大神(おおいかづちのおおかみ)
別雷大神(わけいかづちのおおかみ)
だろうか。
群馬の雷電神社より)

・稲荷社

御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

鳥居の脇にあります。
斜めになっていて倒れそうだが、どこか風情がある。

・不明な摂末社

本殿の裏手にある。
祀られている神様は不明。
中に仏像があったので、やはり寺の要素が強いのかなとか思ったり。

鷲神社のここがステキ

鳥居を出て左手にあった。
美しさのあまり写真を撮ってしまったが、やはりスマホのカメラでは実際の美しさを半分も表現できないのが残念。

鷲神社の社叢もまたさいたま市(浦和市)によって大切にされています。
氷川女體神社といい、さいたま市緑区は癒されますな。

さいたま市緑区の鷲神社の超個人的考察

鷲、という名前に興味を惹かれて参拝したところ、想像以上の収穫があった。

そもそも鷲神社という名前をあまり耳にしたことがなかった。
後でGoogleさん経由で調べたところ、埼玉の一部の地域にかなりの数があることが判明。

埼玉県の神社より引用)

これを見れば一目瞭然である。
というのも、
この地図のちょうど中間、赤い鳥居の記しに挟まれるように空いたところに、鷲宮神社があるのである。

もちろん個人的なこじつけであることは十分考えられる。
もうかなりの確率で。

しかし、「やはりそうか」とも思えるものである。

やはり鷲神社の鷲は鷲宮神社から来ているのだ、と。

そもそも『わしのみや』は『土師宮(はじのみや)』が転化したものだとする説がある。
つまり鷲宮神社は土師氏と関係があった可能性があるということになる。

土師氏の話は鷲宮神社の紹介の際にするとして、
今回の鷲神社の分布図から一つの推測ができる。

鷲神社の点在している範囲が土師氏の勢力圏であったのではないかと。

もちろん現時点では超個人的な推測にすぎない。
しかしこの範囲を見ると、埼玉の中央部に古墳を含む遺跡が多数あることにもつながるように思えてくる。

東京にもある鷲神社

Googleに力を借りて鷲神社を検索すると、浅草にある鷲神社がヒットする。

鷲神社という名称から同じ神社、もしくは関係はあるのだと思われます。

少し気になるのが立地。
今しがた述べた説を取るなら、ここまで土師氏の勢力が及んでいたということだろうか。

現時点ではなんとも言えないので、機会を作って一度参拝してみたい神社である。

新羅三郎義光の名前が気になります

鷲神社境内の由緒書には

とある。

ともある。

この新羅三郎義光なる人物ですが、

源義光のことだそうです。

源 義光(みなもと の よしみつ)は、平安時代後期の武将河内源氏の2代目棟梁である源頼義の三男。兄に源義家(八幡太郎)や源義綱(加茂次郎)がいる。近江国新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と称した。
                                    weblioより引用)

まったく知りませんでした。
近江国の新羅明神で元服したことから新羅を名乗ったようです。

ですが新羅という名称がどうしても気になります。
というのも、埼玉は渡来人と関わりの深い土地だからです。

新羅・・・。
上にもあるように渡来人とは関係ないようですが、もしかしたら関係があるのかも、とか思ったりしてしまいます。

さいたま市緑区にある鷲神社を参拝して

想像力の逞しさには定評があるのですが、
今回の鷲神社の参拝は見事に私の想像力を刺激してくれました。

お陰でこの後の鷲宮神社への参拝がいっそう楽しみになりました。

今回掲載した鷲神社と鷲宮神社に関わる説は、どこまでも超個人的な考察です。
また熱心に歴史を紐解くような性格でもないので、思いつきの部分が多いですので与太話程度にとらえて頂ければと思います。

しかし神社を参拝すると、ふと想像力が広がるときがあります。

これほどまでに過去を見ることができるものがあふれているというのは、なんともすばらしいことです。
そんな神社がそこらじゅうにある日本って、なんとも不思議で、なんとも魅力があったりします。

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