安曇野の神社②穂高神社にある御船会館と貴重な宝物のご紹介

安曇野の神社②穂高神社にある御船会館と貴重な宝物のご紹介

御祭神
中殿 穂高見命(ほたかみのみこと)
左殿 綿津見命(わたつみのみこと)
右殿 瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
別宮 天照御大神(あまてらすおおみかみ)
若宮 阿曇連比羅夫命(あずみのむらじひらふのみこと)
相殿 信濃中将(しなののちゅうじょう)

長野県は安曇野にある穂高神社。
山深き安曇野の地にありながら、海神族の神様を祀る神社です。
穂高神社のご紹介はこちらをご覧ください

さて、
その穂高神社ですが、境内に御船会館という資料館があります。
お名前のとおり主に御船祭に関する展示を行っている資料館なのですが、
館内に展示されている宝物は一見の価値があります!
(個人的に)

館内は写真撮影OKでしたので、
今回は写真つきでご紹介です!
ちなみに拝観料は300円。
穂高神社ホームページのクーポンを使用すると100円になる模様)

ちなみに、
神社にある資料館はなかなかおもしろいですよ。
拝観料は必要ですが、思わぬ発見につながることがあります。




いざ、穂高神社の御船会館のご紹介

御船会館というお名前のとおり、
穂高神社の主に御船祭の資料を展示する資料館です。

ですが御船祭の資料以外にも興味深いものが多々あります。

猪も七代続けば豚になるのだ

まずは御船会館の入り口から。

さっそくステキなお出迎えです。
御船会館とはまるで関係のないだろう、かわいらしい?イノシシとブタが出迎えてくれます。
手前の額には
猪も七代続けば豚になる
とあります。

猪ですら年月を経て豚になることから
長い年月をかければ何事も『進化』や『変化』があるということ

なのだそうです。
なんと含蓄のある言葉でしょうか。
一見なに一つ穂高神社と関係がないように思えます。
いえ、安曇野には愉快な動物のオブジェがたくさん見られますから、事実なんの関係もないのでしょう。

しかし、
この『猪も七代続けば豚となる』という言葉が、
犀龍(さいりゅう)の伝説とかすかな関りがある
と考えるの私がおかしいのかもしれません。

ちなみに、
安曇野にある他の愉快な動物のオブジェ。

こちらも御船会館の入り口付近にある。
古くなったソファーのスポンジをアートに昇華させたものであり、
麻雀をするパンダという天才的な発想の作品である。
個人的に大好き。

こちらは安曇野駅の前にある飲食店(レンタサイクル?)にある木彫りのクマ。
北海道のクマと違って安曇野のクマは直立している。
おまけにサムズアップで歓迎の意を示してくれている。

御船会館に展示されている最も古い形の道祖神

長野、それも安曇野の地は道祖神が多くみられます。
ふつうの生活道路にも道祖神がそこかしこにあったりします。

道祖神について。

村の辻に古来から生産・生殖の神として、五穀豊穣・子孫繁栄・縁結び・通行の安全・禍災が村に入らないようにとの願いを掛けた神といい、庚申塔、二十三夜塔、馬頭観世音、大黒天、地蔵尊などの石神・石仏と共に祀られていることも多くあります。 中国古代の道の神の思想が我国に入り、日本古来の古代信仰と結びつき「旅」や「道」を守る「道祖」の文字があてられたとも言いますが、「古事記」「日本書紀」の神話では天孫ニニギの命を天八衢(あめのやちまた)に迎え、道案内をした「猿田彦の命」が衢神(ちまたかみ)すなわち道祖神になったともいわれています。
穂高神社ホームページより引用)

こちらが御船会館に展示されている道祖神。

こちらの夫婦が彫られた道祖神ですが、
道祖神特別展示店の間のみ展示されているのだそうです。
偶然見ることができて私はとても幸運でした。

それというのも、
ここで着目して頂きたいのが写真の左に映っている道祖神なのです!
(もちろん右手前の道祖神も素晴らしいです)

左に映っている道祖神ですが、
最も古い形の道祖神』とあります。

そしてその形は穂高神社の境内や、安曇野の地、また他の長野の地でお見掛けした道祖神とはまったくの別物です。

一見すると丸みを帯びた細長い石。
たしかに丸い石は信仰の対象になってもおかしくありません。

ですが、
私にはこの最も古い道祖神の形が男根に見えてしかたがありません!

そして私の見方はけっして間違っていないのではないかとも思えます。
穂高神社の境内にあった他の道祖神は夫婦をかたどり、
そして生殖の信仰でもあったとあります。

そもそも道祖神という名称は中国の思想が入ってきてから『道祖神』となったわけで、
古来の道祖神は別物であったと考えられます。

そう、道祖神とは石に対する信仰。
いえ、石の形に対する信仰だったのではないでしょうか・

石の形。
つまり男根の形です。
生殖。子孫繁栄。そこに男根は欠かせません。

古代の日本は命を育む女性を信仰する社会だと考えていたのですが、
長野の地を訪れたことで男根もまた信仰の対象であったのではと考えさせられました。

そしてこの私の考えは茅野市尖石縄文考古館を拝観することでも新たな結びつきを生むのですが、それはまた後日。

御船会館に展示されている御船祭の資料

さて、
道祖神や動物のオブジェなど御船祭から大きく逸れてしまいました。

こちらが御船祭の資料です。

たいへん大きな展示物です。
大きすぎて全景が収まりませんでした。
また他にも御船祭に関する人形の展示などが多数あります。

ですが、
あまり写真がありませんので興味のある方は穂高神社ホームページをご覧ください。

御船会館にある宝物、犀角とは?

御船会館に展示されている資料には手作りと思われる年表など、
興味を惹かれる展示物がたくさんあります。

さて、
個人的に興味を惹かれる展示物に宝物の一つ、『犀角』があります。

こちらがその『犀角』です。

そのまま読むと犀の角。
そして展示されている宝物も角のようなものです。

これは犀の角なのか・・・。
じっと見ていると、ふと、思いつきました

これはゾウ、いや、マンモスの牙なのではないかと。

突飛な考えと思われるかもしれません。
しかしそう思ってしまうと、もう象牙(もしくはマンモスの牙)にしか見えません。

もちろん、
牙のように模した人工物の可能性もあります。
ただ私は実物に触っていませんので確認の術はありません。

さて、
ここでこの『犀角』が象牙もしくはマンモスの牙とすると、以下のようなことが考えられます。

①遥か大昔、現在の安曇野の地にはマンモスが生息していた

これは一概になかったとは言えないように思います。
なぜなら日本列島も大昔は大陸と地続きだったからです。
それに安曇野から山を越えた向こう側、福井県は恐竜の化石大国ですし。

そして安曇野に土着の民族はマンモスの牙を宝物としていた、
もしくは信仰の対象としていた。

いえ、
もしかしたらマンモスを獲物としていた人々がいたのかもしれません。

②安曇野の地は大陸との流通ルートを持っていた

これも十分に考えられることです。
そもそも海神族の阿曇(安曇)氏は現在の北九州辺りにいた民族とされ、
なんらかのルートで安曇野の地にたどり着いたとされています。
(個人的には日本海側を経由して塩の道を経由して南下してきたと考えている)

大陸からの交易品として象牙が運ばれてきた可能性も考えられます。

それというのも、
諏訪大社上社本宮の宝物殿にもオウム貝があるのです。
(もっともオウム貝は現代もいるので諏訪大社宝物殿のオウム貝がいつの時代のものかは不明ですが)

諏訪大社のオウム貝もなんらかのルートで諏訪大社まで運ばれてきたと考えられます。

また、
穂高神社ホームページに翡翠の説明があります。

安曇野の北を流れる姫川からは、勾玉を作る上で欠くことのできない翡翠が産出されていました。当時珍重されていたひすいを求め、翡翠の産地姫川より内陸部に移り住んだ安曇族の遥かな足跡が感じられます。
穂高神社ホームページより引用)

翡翠は価値ある交易品です。
(ちなみに翡翠は縄文や旧石器時代を知るうえでも興味深い!)

これらのことから安曇野に交易ルートがあったことは十分に考えられます。

日光泉小太郎の母、犀龍(さいりゅう)とは?

さて、
『犀角』の『犀』から連想されるのはもちろん『犀龍』です。

『犀龍』とは。

大昔、信州の真ん中、安曇野のあたりは大きな湖でした。湖には犀龍がすんでおり、小太郎という息子がいました。犀龍と小太郎は人が住めるような大地にするため、湖から水を抜き、岩山を崩すことにしました。山はなかなか崩れることなく犀龍の体からは血が流れ湖は赤く染まりました。何度目かの体当たりの末、山は崩れそこには大地が広がりました。やがて一帯は肥沃な土地となり広々とした田園風景が広がるようになりました。
物語の表現は地域によって若干の違いはあるものの、大筋は同じです。

穂高神社には犀龍と小太郎の銅像がありますが、安曇野に入って土地を開墾した安曇族の活躍そのものがこの伝説となったのではないかと言われています。
信州あずみ野公式観光サイトより引用

安曇野のあたりは大きな湖だったとありますが、
これは科学的?に証明されているそうです。
先日ニュースで見たのですが、現在の長野県の松本あたりは湖だったそうです。
もっとも湖だったのは遥か大昔のことだったようですので、人類の生活と松本や安曇野が湖だった時代が被っているかは不明です。

ですが、
犀龍の伝承があるということは、松本や安曇野に湖が残っていた時代に人類が生活をしていたと考えられなくもありません。

また穂高神社境内には日光泉小太郎と犀龍の像があります。
こちらの犀龍は、現代の犀に似ています。
これはおそらく『犀龍』というお名前から犀のイメージが先行したのだと思われます。

御船会館にはこのようにあります。

日光泉小太郎の
お母さんが犀龍、
お父さん白龍王、だそうです。

犀龍と白龍王がどのような存在を指すのかは不明ですが、
その土地の首長や権力者だったのでしょうか。

そして犀龍の『犀』から、

『犀角』を思い起こさずにはいられません。

安曇野の地に伝わる『犀龍』の伝説と、
穂高神社の宝物の『犀角』。
この二つはつながりがあるのではないでしょうか?

現時点の私では犀龍がどのような存在であったかはわかりません。
しかし安曇野の地に伝わる犀龍の伝説が、古代の人々の生活を想像する一助になるのかもしれません。

やはりその土地に行くことで気づかされることがあるものです。

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