埼玉県川口市にある前川神社に参拝

水害を塞(ふせ)ぎ止めてきた 塞神 前川神社に参拝

主祭神 勢貴大明神(せきだいみょうじん)

多岐都比売命(たきつひめのみこと)
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
狭依毘売命(さよりびめのみこと)

相殿神
大日靈尊(おおひるめのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

少し用事があって川口のほうへ行った際に参拝させて頂きました。

偶然参拝できた神社だったのですが、こちらの神社はかつて水害(洪水)にさらされてきた神社だそうです。
水害にさらされていたことから、神社のお名前の変遷を知ることのできるたいへん興味深い神社でした。

前川神社の公式ホームページも分かりやすく丁寧に作られているので、興味のある方はどうぞ。




川口市にある前川神社へのアクセス

JR蕨駅から徒歩40分ぐらい
徒歩で行くのは厳しいかも

いざ、前川神社に参拝

中規模の神社ですが、たいへんきれいな神社です。

まずは大鳥居のご紹介。

鳥居もしめ縄もたいへんきれいです。

大鳥居をくぐって左手に手水舎があるのですが・・・

大鳥居の奥の茂みに隠れるかのように持田稲荷神社が鎮座しています。
なぜこのようなところに・・・?

そして手水舎の脇には

さっそく狛犬がっ!!!
ではないでしょうけど、犬がいます。
ずいぶん現代的な狛犬ですな。

続いてこちらが本殿へと続く鳥居。

鳥居をくぐると境内が広がっている。

たいへんきれいな境内です。

こちらが本殿(拝殿)。

本殿の右脇には由緒書きや説明書きがあります。

漂着神の信仰というのが興味深い。(後述)

本殿の右手前には八坂神社が。

本殿の左奥には祖霊社(と思われる)があります。

塞神 前川神社の御由緒

前川神社の御由緒に関しては、公式ホームページがたいへん分かりやすいです。

前川神社のお名前の変遷を公式ホームページから抜粋させて頂きますと、

『縁起』には永正9年の雷火によって縁起、証文等を焼失した為、京都の吉田家を訪ね、神祇管領長上従二位侍従卜部朝臣兼敬より正一位勢貴大明神の宗源宣旨、宗源祝詞(共に当社蔵)を頂戴した旨が記載されており、これを機にそれまで堰社・関社(せきしゃ)と称していた当神社名を勢貴社(せきしゃ)と改めたとされております。

前川神社は元々、堰社・関社(せきしゃ)であったそうです。
それを勢貴(せき)社と改め、
昭和40年には前川神社となったそうです。

せき社のお名前が示すように、かつては水害(洪水)を堰き止めた神社だったようです。

また元々の御祭神は、

文政13年(1830年)に完成した『新編武蔵風土記稿』によると、祭神は「多気津姫命」としており、長い歴史を経て「多気比売」が「多気津姫」、「多岐都比売」へ。また、「女神」、「水徳の神」という共通項から現在の御祭神に変遷していったことが推察されます。

多気津姫命(たきつひめのみこと)であったそうです。
ですが現在では一柱ではなく、宗像三女神を祀っています。

前川神社の本殿(拝殿)のご紹介

主祭神 勢貴大明神(せきだいみょうじん)

多岐都比売命(たきつひめのみこと)
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
狭依毘売命(さよりびめのみこと)

相殿神
大日靈尊(おおひるめのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

現在の主祭神は多岐都比売命(たきつひめのみこと)、多紀理毘売命(たきりびめのみこと)、狭依毘売命(さよりびめのみこと)の三柱の神様となっています。

狭依毘売命(さよりびめのみこと)とありますが、市寸島比売命(いちきしまびめのみこと)の別名とのこと。

三柱の神様は宗像三女神として有名ですね。

また宗像三女神は須佐之男命(天照大御神の?)の御子神でもあります。
須佐之男命といえば治水技術に優れた神様(週末ただたか論)ですので、その御子神であり、海の神様である宗像三女神が、水害の多かった前川神社の御祭神であることに納得です。

また、相殿神の大日靈尊(おおひるめのみこと)ですが、こちらは天照大御神の別名とされています。
現時点では詳しくありませんので、またの機会にご紹介できればと思います。

前川神社の摂末社のご紹介

八坂神社

御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)

本殿右手前にある。
御祭神の須佐之男命は本殿の主祭神である宗像三女神のお父さん
また、治水技術に優れた神様でもある(週末ただたか論)。

よって水害の多かった前川神社に祀られているのも納得である。

ですが、やはり神社のお名前は八坂神社なのですね。

祖霊社(と思われる)

こちらの祖霊社の狛犬が有名なようです。
私は見逃してしまいましたが、参拝される方はぜひご覧になってください。
癒されるみたいですよ。

持田稲荷神社

御祭神
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

お名前の表記は立札のまま。
倉稲魂命の別表記。
お稲荷さん。

しかし、なぜこのような場所(大鳥居をくぐってすぐの茂みの中)に鎮座されているのかは謎である。

塞神 前川神社の漂着神信仰

漂着神信仰。
たいへん興味深い。

説明書きによると、

漂着神信仰とは、海や川の沿岸に流れ着いた神像や仏像などが、そこに祀られるに至った信仰のことだそうです。

特に海の彼方から流れ着いたものが多く伝承されており、その代表的なものはエビス神です。とある。

エビス神 = 少彦名命 とされています。
少彦名命もまた、海を越えて大国主命を援けにきた神様です。言い換えれば、漂着した神様と言えなくもありません。

続けて説明書きには、

漂着神信仰の根底には、日本人の外者歓待の思想が流れています。とある。

たしかに古代の日本人(といっていいのか)は異国の文化を積極的に受け入れていたように思います。
もっともそれは日本人に限らず、古代の人々は自分たちの知らない遠くの国から来た存在を受け入れていたのだと思いますけどね。

ちなみに説明書きには、

前川神社の他に、

西川口の八雲神社
青木の長堤天神
安行藤八の島稲荷社

も漂着神信仰の神社であると記されています。

さて、こちらの漂着神信仰から読み取れることといえば・・・

昔は水害に悩まされていた

ということである。
もちろん現代でも台風や洪水など、水害に悩まされることは多々あります。
しかし技術の発展した現代と、かつての水害は別物と考えてもよいのではないでしょうか。
(現代でも水害はもちろんたいへんなことです)

その水害を防ぐ、前川神社だと塞(ふせ)ぐために、多岐都比売命(たきつひめのみこと)が祀られたのでしょう。
そして後から、須佐之男命もまた祀られたのでしょう。

昔の人々にとって水害(洪水・氾濫)は脅威だったと考えられます。

しかし!
同時に河川の恩恵は人々に不可欠だったはずです。

飲用水、生活用水はもちろん、稲作にも十分な水が必要ですから。

そして河川や海が人々に与えた恩恵はそれだけではなかったのです。
時として河川や海は、外の世界を人々に見せてくれるものだったのかもしれません。

前川神社で知った漂着信仰が、今後の週末ただたかにとってよいものとなりそうな予感がします。

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