新橋の神社② 参拝ノートのある鹽竈神社に参拝

新橋の神社② 参拝ノートのある鹽竈神社に参拝

御祭神
鹽土老翁(しおつちのおきな)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)

烏森神社に続いて、新橋にある鹽竈神社に参拝させて頂きました。

鹽竈神社といえば宮城県にある陸奥国一之宮である鹽竈神社が有名です。
実は私も一度参拝させて頂いたことがあります。
もちろん写真はないのですが・・・。

さて、
こちらの新橋の鹽竈神社はなんと、拝殿に参拝ノートがあるのです!
参拝者が自由に感想などを書いていいノートです。

参拝ノートのある神社は初めてかもしれません。

また、御祭神が鹽土老翁(しおつちのおきな)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)や経津主命(ふつぬしのみこと)であること。
そして陸奥一之宮の鹽竈神社のホームページにある興味深い記述から、突飛な考察につながりました。
興味のある方はぜひ最後までご覧ください。




新橋にある鹽竈神社へのアクセス

〒105-0004 東京都港区新橋5丁目19−2
JR新橋駅から徒歩10分ほど

都会のオアシスである公園に隣接しているぞ!

いざ、新橋にある鹽竈神社に参拝

こちらが大鳥居です。

かつて新橋の地がカラスの森であった名残でしょうか。

鳥居の上は鳩の休憩所になっているようです。

大鳥居の先の鳥居は平べったい鳥居感じ。
少し珍しい鳥居です。

こちらが本殿(拝殿)。

こちらに参拝ノートが置いてあります。

本殿(拝殿)の左手に摂末社の稲荷神社があります。

こちらの稲荷神社の鳥居は少し珍しい形をしています。
どこか物々しさを感じさせます。

新橋にある鹽竈神社のご紹介は以上です。
やはり都心の神社ということもあり、境内はこじんまりとしています。
ですが都心にありながら、神社本来の形を留めている神社でもあります。

新橋の鹽竈神社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
鹽土老翁(しおつちのおきな)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)

鹽土老翁は道案内の神様なのか

鹽土老翁(しおつちのおきな・しおつちのおじ)は、『古事記』『日本書紀』の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与え海神(ワわだつみ)の宮へ案内した神様とされています。

このことから鹽土老翁は、海に住まう神様、転じて海を支配していた(熟知していた)民族であると考えられます。
鹽土老翁を宗像の神や住吉の神と捉える考え方もあるようです。

さて、
個人的に興味があるのは、鹽土老翁が道案内を務めた神様という点です。

山幸彦を海神(わだつみ)の宮へ案内したことはもちろん、神武天皇に東方に美しい国があると教えた神様でもあるそうです。

どちらも共通して、案内をしています。

そう、
猿田彦命(さるたひこのみこと)が地上の道案内を務めた神様であるならば、鹽土老翁(しおつちのおきな)は海上の道案内を務めた神様といえるのではないでしょうか。

芦原中つ国に降り立った高天原の神々(の子孫)にとって、芦原中つ国での道案内は必要だったでしょうから。

一緒に祀られている神様から鹽土老翁について考察する

新橋の鹽竈神社の御祭神も、宮城にある陸奥国一之宮の鹽竈神社の御祭神も、鹽土老翁(しおつちのおきな)であり、武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)でもあります。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)は鹿島神宮の御祭神。
高天原の『武』を象徴するといえる神様です。

鹿島神宮のご紹介はこちらをクリックしてください。

経津主命(ふつぬしのみこと)は香取神宮の御祭神。
『刀』の神様であるともされ、武甕槌命と同様に高天原の『武』を象徴する神様です。
(武具や技術を象徴する側面が強い?)

香取神宮のご紹介はこちらをクリックしてください。

さて、
高天原を代表する『武』の神様である武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)が、なぜ鹽土老翁(しおつちのおきな)と一緒に祀られているのか?

陸奥国一之宮の鹽竈神社のホームページに興味深い記述がありました。

武甕槌神(茨城県鹿島神宮主祭神)・経津主神(千葉県香取神宮主祭神)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神の神であり、一説には神々は海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸されたと言われ、又鹽土老翁神はシャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えもあります。

やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻りましたが、鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされています。塩釜の地名の起こりともなっております。
鹽竈神社ホームページより引用)

ここからも鹽土老翁(しおつちのおきな)が海上の道案内を務めた神様だと考えられます。

また、
陸奥国一之宮の鹽竈神社のホームページにはさらに興味深い記述があります。

御祭神の伝承の異説
日本を代表する古社、奈良県の春日大社の縁起を伝える『春日権現験記』(1309)によりますと武甕槌神は陸奥国塩竈浦に天降り、やがて鹿島に遷ったとされる注目すべき記述があります。

鹽竈神社ホームページより引用)

こちらの記述、たいへん興味を惹かれます。
なぜなら私が武甕槌命(たけみかづちのみこと)にたいへん興味を惹かれているからです。

鹿島神宮へ参拝させて頂いた際にも記述しましたが、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鎮圧できなかった神様(悪神)がいらっしゃいます。

その神様こそが、大甕の地に封印されたとされる甕星香々背男(みかぼしかがせお)

甕星香々背男を祀る大甕神社に興味のある方はこちらをクリックしてください。

大甕神社は鹿島神宮を北上した地にあります。

時系列は詳しく分かりませんので今回は無視して考えますが、もし武甕槌命(たけみかづちのみこと)が初めに降り立った地が鹽竈神社(宮城県)だったとすれば、

武甕槌命(たけみかづちのみこと)は現在の宮城県から北方の制圧を始め、そして南下して侵略を進めたのかもしれません。

そして現在の茨城の地で甕星香々背男(みかぼしかがせお)を鎮圧しきれなかった・・・。
ゆえに海上のルートで鹿島の地へ渡り、拠点となる鹿島神宮を建てた・・・。
そして挟み撃ちを狙った・・・。

などといった考えは、まったくの思いつきであり真実味がありません。
たまたま陸奥国一之宮の鹽竈神社のホームページに興味深い記述があったことにより思いついただけです。

しかし、
ここ最近気になっている『如何にして武甕槌命(たけみかづちのみこと)は甕星香々背男(みかぼしかがせお)を鎮圧し、東国を平定したのか』ということに、違った側面からアプローチすることができました。
(甕星香々背男を鎮圧したのは建葉槌命(たてはづちのみこと)のようなんですけどね)

さて、
鹽竈神社のご紹介という本筋からは逸れてしまいましたが、鹽土老翁(しおつちのおきな)が道案内を務められた神様だということはある程度正しいと考えられます。

猿田彦命や鹽土老翁といった先導役は、高天原の神々にとって必要だったでしょうから。

新橋にある鹽竈神社に参拝させて頂いたことで、思わぬ閃きを得ることができました。
やはり実際に神社を参拝すると、ふとしたきっかけで突飛な発想に結びつくことがあります。

これも神社に祀られている神様のお陰でしょうか?

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