今回の目次
新橋の神社③ 鯖稲荷と称される日比谷神社に参拝
御祭神
豊受大神(とようけのおおかみ)
【祓戸四柱大神:はらいどのよつばしらのおおかみ】
瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)
速開都比賣大神(はやあきつひめのおおかみ)
気吹戸主大神(いぶきどぬしのおおかみ)
速佐須良比賣大神(はやさすらひめのおおかみ)
烏森神社、鹽竈神社と続いて、最後は日比谷神社をご紹介させて頂きます。
こちらの日比谷神社ですが、まさに大都会にある神社です。
現在の日比谷神社の向かいには大きな道路が走り、高層ビルが立ち並び、
本殿(拝殿)の背後にはJRの電車が走っています。
そのような大都会にある日比谷神社ですが、その御由緒や御祭神はたいへん興味深いものがあります。
日比谷神社へのアクセス
〒105-0021 東京都港区東新橋2丁目1−1
JR新橋駅から徒歩5分ほど
まさに大都会にある神社です。
いざ、新橋にある日比谷神社に参拝
こちらが鳥居です。
背後に高層ビルがそびえています。
こちらが本殿(拝殿)。
境内はこじんまりとしていて(東京の一等地と考えればとんでもなく広い!)、本殿(拝殿)の他は摂末社が一つと、社務所があるぐらいです。
こちらが摂末社。
狛犬がいらっしゃいますが、社殿におきつねさまがいらっしゃることや、提灯(?)に稲荷神社とあることから、稲荷神社です。
(そもそも鯖稲荷と称されていますし)
境内は整然としていて、しっかりと管理されているようです。
日比谷神社と鯖稲荷の御由緒
当日比谷神社は、古くから旧麹町区日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神旅(さ)泊(ば)稲荷明神と称しておりました。慶長11(1606)年、江戸城築城に際し日比谷御門を造営することとなり、氏子と共に芝口に移動となりますが、町名は従来のまま、日比谷となっておりました。
しかし、寛永7(1630)年、新橋に新しく芝口御門を造営することになり、町名も日比谷町から芝口町へと改称することになりましたが、神社の社号は変えることなく現在に到ります。
(日比谷神社ホームページより引用)
鯖稲荷ではなく旅泊(さば)稲荷
当社が日比谷公園の中にあった頃、全国の苦しんでいる旅人たちに神社の社務所を開放し、無病息災の祈願を受けさせたところ、霊験が殊更に著しくあらわれ、旅人や周囲の人々は「旅泊(さば)稲荷」と唱えました。
新橋に遷った後に魚の鯖に変わるようになり、鯖稲荷と称してまいりました。
特に昔、虫歯虫封じに苦しむ人が御祈祷をうけると霊験があるとされ、鯖を食べることを断ち祈誓をかけると治ったそうです。それ以降、治った人々は鯖を奉納するといわれてきました。
(日比谷神社ホームページより引用)
日比谷神社の本殿(拝殿)のご紹介
御祭神
豊受大神(とようけのおおかみ)
【祓戸四柱大神:はらいどのよつばしらのおおかみ】
瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)
速開都比賣大神(はやあきつひめのおおかみ)
気吹戸主大神(いぶきどぬしのおおかみ)
速佐須良比賣大神(はやさすらひめのおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
主祭神の豊受大神(とようけのおおかみ)は五穀豊穣の神様とされています。
御神徳も稲荷神社の御祭神の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)に近しい神様と考えてもよいかと。
ですが個人的には五穀豊穣の神様というよりも、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事の用意をするといった印象が強い神様です。
それというのも、豊受大神(とようけのおおかみ)は伊勢の神宮の外宮(げくう)に祀られている神様で、天照大御神のお世話(主に食事?)をされる神様なのです。
そこから転じて、五穀豊穣の神様とされるようになったのかもしれません。
(もしくは五穀豊穣の神様だから天照大御神に召し抱えられたのか?)
豊受大神(とようけのおおかみ)が主祭神として祀られている神社が東京にあるのは少し珍しい気がします。
第六天榊神社の摂末社には祀られてますけどね。
しかしもっと珍しい気がするのは・・・。
【祓戸四柱大神(はらいどのよつばしらのおおかみ)】
瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)
速開都比賣大神(はやあきつひめのおおかみ)
気吹戸主大神(いぶきどぬしのおおかみ)
速佐須良比賣大神(はやさすらひめのおおかみ)
祓戸四柱大神(はらいどのよつばしらのおおかみ)が祀られていることです。
祓(はらい)を司る神。葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の国土)のあらゆる罪・穢を祓い去る神とされる。
(日比谷神社ホームページより引用)
実は私は祓戸四柱大神はほとんど無知です。
今後勉強していく次第であります。
しかし、祓戸四柱大神が謎の多い神様であることは知っています。
とくに瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)は、須佐之男命(すさのおのみこと)と天照大御神の誓約の際にお生まれになった、宗像三女神の一柱、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と同一視されることもあるようなのです。
・・・。
祓戸四柱大神が日比谷神社に祀られているのは、徳川幕府が結界的な要素を重視したからだと推測することはできます。
ですが、
祓戸四柱大神がどのような立ち位置の神様であるのかは現時点では不明です。
日比谷神社に参拝させて頂いたことで、今後は祓戸四柱大神についても興味が沸いてきました!