浅草橋散策③ 第六天榊神社に参拝

鳥越神社の前に・・・第六天榊神社に参拝

御祭神
天神第六代坐榊皇大御神
(あまつかみむつのみよにあたりたまうさかきのすめおおみかみ)
面足尊(おもだるのみこと)
惶根尊(かしこねのみこと)

第六天榊神社。
聞きなれないお名前の神社です。
他の第六天神社には参拝したことがあるのでお名前は知っていたのですが、御祭神についてはほとんど知りませんでした。

ですので今回は、第六天神社の御祭神に焦点を絞ってご紹介です。

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第六天榊神社へのアクセス

JR浅草橋駅から徒歩10分程度
都営浅草線 浅草橋駅からなら徒歩5分程度

江戸通りを越えると少し雰囲気が変わる。
気分の問題という可能性も十分にありうる。

いざ第六天榊神社に参拝

こちらが大鳥居。

榊神社とあります。
元々は『第六天神宮』というお名前だったそうです。
明治六年に榊神社と改称したとのこと。

重厚感のある大きな鳥居です。
天気が曇りだったこともあり、重たそうな印象を受けました。

鳥居をくぐるとほぼ正面に本殿(拝殿)があります。

カメラの腕前とかいろいろあって、本殿をきれいに収めることができませんでした。
本殿の右手には社務所(と思われる)があります。

本殿の左手には

このような空間が広がっています。
奥に見える赤い鳥居が

繁盛稲荷社です。
こちらの向かいにあるのが、

手前に七福稲荷神社、

奥に事比羅(ことひら)神社と豊受神社(一社に合祀されている)があります。

第六天榊神社の御由緒

景行天皇の御宇四十年(110)日本武尊が、勅命により東国の鎮定に下向の折この地に国土創成の祖神である皇祖二柱の神を鎮祭し、自ら奉持した白銅の宝鏡を納め国歌鎮護の神宮とした。古来より「第六天神宮」と称され公武衆庶の崇敬を受けてきた。明治六年榊神社と改称した。
東京都神社庁ホームページより引用)

東京都神社庁のホームページによると、こちらの第六天榊神社が第六天神の総本宮であるとのことです。

また、こちらの第六天神社は関東に広く分布している神社のようです。
実は私のよく知る神社の近くにも第六天神社があります。
それがこちらの

さいたま市浦和区にある、うさぎで有名な調神社(つきじんじゃ)の近くにある第六天神社です。

第六天榊神社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
天神第六代坐榊皇大御神
(あまつかみむつのみよにあたりたまうさかきのすめおおみかみ)
面足尊(おもだるのみこと)
惶根尊(かしこねのみこと)

本殿の御祭神ですが、正直あまり知らない神様です。

面足尊(おもだるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと)は神世七代(かみのよななよ)の神様たちの、第六代にあたる夫婦神だそうです。

ゆえに、こちらの神社は第六天榊神社というお名前なのだと思われます。

ちなみに、神世七代の第七代の夫婦神が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)です。

また、主祭神と思われる天神第六代坐榊皇大御神(あまつかみむつのみよにあたりたまうさかきのすめおおみかみ)がどのような神様であるかは不明です。

神世七代の第六代より先の神様か、もしくは神世七代よりも先の神様でしょうか?

第六天榊神社の摂末社のご紹介

七福稲荷神社・繁盛稲荷神社

御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

稲荷神社ですので御祭神は倉稲魂命と思われます。
お稲荷さまです。
稲作の神様であり、現代だと商売繁盛の神様。

境内には稲荷神社が二社あります。
おそらく近くにあった稲荷神社が第六天榊神社の境内に移されたのだと思われます。

事比羅神社・豊受神社

事比羅神社 御祭神
大物主神(おおものぬしのかみ)

豊受神社 御祭神
豊受姫神(とようけひ(び)めのかみ)

こちらは七福稲荷神社の奥に鎮座しています。
こじんまりとしているが、たいへんきれいな社である。

事比羅(ことひら)神社は琴平神社、金毘羅神社と同じと考えられます。
ですので御祭神は大物主神と思われます。
大物主神といえば奈良の大神(おおみわ)神社がたいへん有名です。
また、大物主神と大国主命は同じ神様とされています。
(個人的にはちょっと違うのではと考えている)

そして豊受神社。
御祭神の豊受姫神が祀られている神社といえば、伊勢の神宮の外宮がたいへん有名です。
こちらの豊受姫神は、天照大御神の食事のご用意をされる神様です。
浦和の調神社にも祀られています。

第六天榊神社について超個人的に考察する

こちらの第六天榊神社もまた、多くの疑問点が生じる神社です。

現在の御祭神

天神第六代坐榊皇大御神(あまつかみむつのみよにあたりたまうさかきのすめおおみかみ)
面足尊(おもだるのみこと)
惶根尊(かしこねのみこと)

の三柱の神様となっています。

こちらの三柱の神様が祀られた経緯は由緒に

景行天皇の御宇四十年(110)日本武尊が、勅命により東国の鎮定に下向の折この地に国土創成の祖神である皇祖二柱の神を鎮祭し

とあります。
また、

国歌鎮護の神宮とした

ともあります。

古来より『第六天神宮』と称されていたとあります。
神宮とつく神社は伊勢の神宮に代表されるように、天皇家と関わりの深い神社です。
こちらの第六天榊神社もまた、御祭神の観点からすると天皇家に関わりの深い神社といえなくもありません。

日本武尊は皇祖二柱の神を鎮祭した

しかし現在の御祭神は三柱の神様です。
ということは、日本武尊の時代には、

天神第六代坐榊皇大御神(あまつかみむつのみよにあたりたまうさかきのすめおおみかみ)は祀られていなかった

ということになります。

それではなぜ天神第六代坐榊皇大御神が祀られるようになったのか?

それは神仏習合となった際、第六天榊神社には他化自在天(たけじざいてん)が祀られていたそうです。

こちらの他化自在天ですが、またの名を第六天魔王というそうです。

第六天魔王というと、織田信長を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

こちらの他化自在天ですが、

六欲天の中で最上の天。この天に生まれた者は他の天の者が作ったものを自在に自己の楽として受けとる。
コトバンクより引用)

とあります。

とんでもない神様(?)です。

神様というより、魔王や悪魔といった表現のほうが合致するように思えます。

そのような他化自在天を、どうして第六天神社では祀ったのでしょうか?

そしてなぜこのような神様を祀る第六天神社が、関東に分布したのでしょうか?

謎は深まるばかりです・・・。

なぜ神世七代の神様と魔王を習合した?

御由緒のとおりだとすれば、本来の第六天榊神社の御祭神は面足尊(おもだるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと)です。

やがて神仏習合の時代がやってきて、第六天神宮というお名前や、面足尊と惶根尊が第六代の神様ということから、第六天(魔王)を習合したと考えられます。

しかし、現代の感覚(もしくは個人的な感覚)だと、これは奇妙でなりません。

だってですよ?

日本の神話において位が高いであろう神世七代の神様と魔王を習合するでしょうか

もちろん現代と当時の感覚は違ったものでしょうし、また、第六天魔王も非常に位が高いとも言えます。
『位』という点では、神世七代も第六天も同列であると言えるかもしれません。

しかし個人的には納得がいかない部分も多々あります。

今後関東の神社を参拝していくことで、当時の人々の思想が分かってくるのかもしれません。
そしてやがて、第六天神社に魔王を祀ったことにも納得できる日がくるのかもしれません。

しかしまさか、
神社に魔王を祀っているとは・・・。
神社は奥が深い。

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