鷲宮神社から天穂日命と国譲りを考えてみる
御祭神(※鷲宮神社ホームページまま)
天穂日命(アメノホヒノミコト)
武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)
大己貴命(オホナムヂノミコト)
あらためて本殿と御祭神のご紹介です。
さて、こちらの鷲宮神社の御祭神ですが、正直なところ私はあまり詳しく知らなかったです。
もちろん大己貴命のことはある程度知っていました。
大己貴命といえば氷川三社にも祀られている神様ですから。
私があまり知らなかった神様とは、天穂日命のことです。
今回は天穂日命について考察を進めていきたいと思います。
▶鷲宮神社の他の記事に興味のある方はこちらをクリックしてください。
(別のウィンドウで開きます)
考察の前に予備知識として
神社に祀られている神様と一口にいっても、実は派閥のようなものが存在します。
なぜ派閥のようなものが生じたのかというと・・・
私自身勉強不足のところもあるので今回は割愛します。
古事記や日本書紀を編纂した方々の思惑だとか、歴史的背景だとかを掘り下げていくと長ーくなりますので。
さて、
ざっくりとですが、神社に祀られている神様には以下のように二大勢力に分かれています。
天津神(あまつかみ)か国津神(くにつかみ)
ざっくりマンデー並にざっくりですが、深く掘り下げても長くなるので。
天津神とは
天照大御神のような高天原の神様。
国津神とは
大国主命のような芦原中つ国を治めていた神様。
結論から書きますと、
日本の神話は大和朝廷(天皇)が日本を治める正当性を内外に主張するために創られたとされています。
(絶対そうだと言い切れるわけではないですけど)
つまり勝者の歴史が、現代に至るまで日本の歴史となっているわけです。
そして日本神話における勝者とは朝廷側、つまり天皇側ですね。
だからこそ天皇の祖神が天照大御神となっているのでしょう。
なぜなら天照大御神は国津神の治める土地を平定して(させて)国を治めた神様ですから。
その国津神の一柱、国津神のなかでも広大な土地を治めていた神様こそが、出雲を治めていた大国主命(=大己貴命)です。
高天ヶ原のトップ(語彙力不足)である天津神の天照大御神。
芦原中つ国の有力な国津神の大国主命。
こちらの二柱の神様による国土のやりとりこそが、有名な『国譲り』神話なのです。
そしてその『国譲り』にトップバッターとして登場する神様こそが、
鷲宮神社の本殿に祀られている天穂日命なのです。
それでは『国譲り』というキーワードから、天穂日命という神様について考察していきたいと思います。
(それでは出雲を治めた須佐之男命は天津神と国津神のどちらなの?という疑問が生じるかもしれませんが、そちらについては機会があればということで)
天穂日命と国譲りと大国主命
まずは天穂日命について。
・天照大御神の御子神(天照大御神と須佐之男命の誓約の際にお生まれになった)
・高天原側の神様(天照大御神の御子神なので)=天津神
・『国譲り』の祭、天照大御神から出雲への交渉役として派遣される
天穂日命に関しても様々な記述がありますので、今回は上記の3点に絞って考察を進めていきたいと思います。
さて、
天穂日命が天照大御神の御子神であることは前回も触れたところです。
天照大御神の御子神ということは、当然高天原の神様(天津神)となります。
そんな天穂日命ですが、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨に先立って、国譲りの交渉役として出雲に派遣されます。
ちなみに瓊瓊杵尊のお父さんは天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)。
天照大御神と須佐之男命の誓約の際にお生まれになった神様です。
つまり天忍穂耳尊天照大御神の御子神であり、天穂日命の兄弟神ということになります。
さて、
天照大御神の命によって出雲に降り立った天穂日命ですが、結果を先に述べると、天穂日命は使命を果たせませんでした。
大国主命(=大己貴命)と仲良くなっちゃったんですね。
さて、このエピソードから推測できることは・・・。
①天穂日命は仕事ができない神様である。
ネゴシエーターとしては失格です。降格処分も免れない。
②大国主命はとんでもなく魅力のある神様だった。
天穂日命が天照大御神の使命に背いてしまうほどに。
個人的には②であったのではないかと思います。
なにせ相手は様々な逸話を持つ大国主命です。
もし歴史を記すものが違っていれば、日本を創った神様は大国主命になっていた可能性もあります。
さて、天穂日命が大国主命に懐柔(?)されたからといって、それで『国譲り』プロジェクトが頓挫するわけはありません。
次々と新たな刺客(神様)が大国主命へと送られてくるのです。
しかし後任の刺客(神様)はことごとく失敗。
大国主命の持つ魅力(権力や人間性)に天穂日命同様によって懐柔されてしまったのか。
もしかしたらその懐柔に、天穂日命が一役買っていたのかもしれません。
さすがは葦原中つ国のなかでも強大な力を持つ出雲の大国主命。
相手が天津神であっても簡単には国を譲りません。
しかし、だからといって進めていたプロジェクトを中止するような高天原ではありません。
ついにある神様を出雲へと派遣するのです。
その神様こそが武の神様、武甕槌神(たけみかづちのかみ)です。
鷲宮神社の森ゾーンにある鹿島神社に祀られている神様ですね。
武甕槌神の『国譲り』に関するエピソードとして、建御名方神(タケミナカタノカミ)との戦いがあります。
が、長くなるのでここでは割愛します。
武甕槌神の圧倒的な武の前に、大国主命は国を譲ることを余儀なくされます。
こうして『国譲り』は武の力によって成し遂げられてしまったのです。
そして『国譲り』の交渉に失敗してしまった天穂日命。
その後天穂日命はどうなったかというと・・・。
天穂日命はもともと国津神側の神様だった?
さて、高天ヶ原のトップである天照大御神の勅命に背いたばかりか、国津神である大国主命の味方となってしまった天穂日命。
本部長の命に背いたばかりか、こっそりと他社に転職してしまったようなものです。
このようなことをすれば現代では訴訟沙汰になりかねません。
神話の時代であっても厳しく咎められたことでしょう。
『国譲り』を成功させた武甕槌神(たけみかづちのかみ)によって成敗されていてもおかしくなかったのではないかと思われます。
しかしそんな天穂日命ですが、
なぜかその後も出雲や芦原中つ国の平定を任されます。
(こちらが分かりやすいです)
むむむ。
そのようなことがあり得るでしょうか。
たとえ背信したとはいえ、出雲の内情を熟知していたであろう天穂日命は高天原にとって貴重だったのかもしれません。
ゆえにそのまま芦原中つ国にとどめ、平定を任せたのかもしれません。
またこのような考え方もできます。
そもそも天穂日命は国津神だったのではないか?
一説によると、天穂日命は出雲の国津神であったとされているそうです。
それが真実かどうかは現段階では不明です。
また天穂日命が天津神だったとしても、他の天津神と比べてあることに秀でていたのではないでしょうか。
それは国津神とのコネクションです。
ゆえに天照大御神から『国譲り』の第一の交渉役に選ばれた。
→もともと国津神とも話をしやすい神様だったから。
ゆえに大国主命と関係が良好だった。
→天津神だったとしても、国津神に理解があったのでしょう。
ゆえに『国譲り』の使命が果たせなかった後も、葦原中つ国の平定を任された。
→国津神と強固なコネクションを持っていたとすれば、各地の国津神とも交渉がしやすかった。
さて、
話が突飛な方向に向かってしまいましたが、ここで強引にまとめると。
天穂日命は交渉に優れた神様だったのではないか
ということです。
それは言葉を換えれば、
天津神と国津神をつないだ神様だったのではないでしょうか。
天穂日命が天津神だったのか国津神だったのかは分かりません。
ですが天穂日命は出来得る限り『国譲り』を穏便に済ませようとしたのではないでしょうか。
大国主命と懇意にし、
自分の後任として送られてきた神様たちを思いとどまらせた。
それは芦原中つ国の国津神の安寧を守るために。
また事後できるだけ天津神と国津神との間に禍根を残さないために。
そのために天穂日命は力を尽くしたのではないでしょうか。
と考えるのは、少し想像力が逞しすぎますね。
もちろんこれは個人の推測です。
なんの根拠もありません。
ですが天穂日命が国津神の神々に慕われていたであろうこと、
また芦原中つ国で崇敬を集めていただろうことは想像ができます。
なぜかというと
鷲宮神社の摂末社の多くが国津神よりであったからです。
ここであらためて鷲宮神社の摂末社を抜粋してご紹介です。
八坂神社。
御祭神の須佐之男命は天津神ですが、高天原を追放されて芦原中つ国に降り立ちます。
天津神ですが、そもそも出雲を興した神様です。
諏訪神社。
御祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)。
大国主命の御子神であり、『国譲り』の際に武甕槌神(たけみかづちのかみ)に敗れ、諏訪に追いやられた国津神です。
粟島神社。
御祭神は少彦名命であり、大国主命と共に国土の平定に務めた神様です。
出雲に非常に関わりの深い神様と言えます。
衢神社。
御祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。
天孫降臨の際に天津神の道案内を務めた国津神です。
そしてこちらの神様が受けた仕打ちは、決してよいものではありませんでした。
以上の摂末社は、どれも国津神の神社であると言えます。
そして一方、
鹿島神社。
御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)。
天津神であり、『国譲り』の主要な神様です。天穂日命と『国譲り』を通じて関わりの深い神様と言えます。
神明神社。
御祭神は天照大御神。
天津神であり、『国譲り』の発案者であるとも言えます。
天穂日命にとって直属の上司であるとも言えます。
八幡神社。
御祭神は応神天皇。
天津神を定義したと言える、天皇側の存在です。
(そもそも実在した初代天皇の可能性がある)
これらの神社は『国譲り』や天津神といった点で天穂日命に関わりの深い神様です。
ですが、どちらの神社も鬱蒼と茂る森の中にあり、本殿からも離れています。
本殿に近い国津神側の神社。
本殿から遠い天津神側の神社。
いったいどちらが天穂日命にとって関わりの深い神様なのか・・・。
以上の推測はあくまでも超個人的な考察です。
フィクションです。
実際の登場人物とは一切ではなありませんが、ほぼ関係ありません。
▶鷲宮神社の他の記事に興味のある方はこちらをクリックしてください。
(別のウィンドウで開きます)