長野は松本の神社④浅間温泉街にある御射神社春宮に参拝
御祭神
三才山の山の神(みさやまのやまのかみ)
御祭神(現在)※表記は御射神社由緒書きまま
健御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
長野県松本市にある須々岐水神社(すすきがわじんじゃ)に続いて、
信州松本・浅間温泉街に鎮座する御射神社春宮に参拝させていただきました。
こちらの御射神社はみしゃ神社とお読みするようです。
御射神社。
ミシャという音からミシャグチ神を連想せずにはいられません。
ミシャグチ神との関連もあるのかもしれませんが、
もともとの御祭神が三才山(みさやま)の山の神ということから、
ミシャ=ミサ=三才山(みさやま)の山の神
を指しているとも考えられます。
御射神社はミサ神社とも読めますからね。
(ちなみにミシャグチ神はミサグチ神とも)
そしてこちらの御射神社の由緒書きがまた興味深いのです。
ミシャグチ神に興味のある方も、
長野は松本の歴史に興味のある方も、
そして浅間温泉に興味のある方も!
御射神社はぜひ参拝してほしい神社です。
浅間温泉街にある御射神社春宮へのアクセス
JR松本駅からバス25分ほどで浅間温泉に到着
そこから徒歩10分ほど?
がんばれば歩いて行けるぞ!
レンタサイクルもおすすめだ!
浅間温泉や御射神社春宮へのアクセス・周辺地図に興味のある方は
をご覧ください。
ちなみに・・・
御射神社秋宮へのアクセス
御射神社春宮から5kmほど離れたところに御射神社秋宮が鎮座されている
残念ながら私は参拝できず・・・
また機会を作ってぜひ参拝してみたい!
いざ、三才山(みさやま)の山の神を祀る御射神社春宮に参拝
松本駅からバスで25分ほどのところにある浅間温泉。
その温泉街の奥に御射神社春宮は鎮座されています。
ちなみに私は時間がなかったので浅間温泉には入れず・・・。
また近隣の寺社仏閣にも参拝できず・・・。
しかしそれでも!
御射神社春宮に参拝できてよかった!
というわけで、
こちらが御射神社春宮の鳥居です。
浅間温泉の奥、
路地を登っていくと御射神社春宮の鳥居が見えてきます。
朱色が美しい鳥居です。
本殿(拝殿)に続く参道には道祖神がいらっしゃいます。
やはり夫婦の道祖神が多く見られます。
長野の松本や安曇野の地の道祖神は、夫婦の道祖神が多いですね。
これは現在の松本や安曇野の地に根付いていた性的な信仰の名残なのかもしれません。
さて、
参道を進むと本殿(拝殿)へと続く階段がそびえています。
階段の上にあるのが、本殿(拝殿)です。
こちらの本殿(拝殿)の周りはぐるりと一周できるようになっています。
ぐるりと本殿(拝殿)を一周できるところが、
どことなく我孫子市にある葺不合神社(ふきあえずじんじゃ)を思い出します。
御射神社春宮の御由緒のご紹介
御射神社春宮の御由緒ですが、たいへん興味を惹かれるものがあります。
文治2年(1186)吾妻鏡(あずまかがみ)にある古社で浅間社と呼び浅間郷(本郷六か村)を社領とする大社で、神宮寺を持ち正応5年(1192)には円空が写経を奉納している。
建武2年頃(1335)浅間郷の地頭赤沢氏が諏訪より御射神社を勧請(かんじょう)し後に、御射神社春宮と呼ばれるようになった。
古代の祭神は山ノ神であったが、後に諏訪大社と同じ祭神となった。
現在の社殿は明治28年の再建で、本殿は神明造りになっている。例大祭の松明(たいまつ)祭りは虫送りの行事から発生したもので昼の押鉾((おしほこ):神輿)で神を送るのが主体であった。
(浅間温泉ホームページより引用)
境内にある由緒書きの冒頭を抜粋しますと、
古代は浅間社(宮)といい、當春宮は三才山の山の神の里宮で、
春には里に下って田の神となり、
冬になると三才山に帰って山の神となった。
とあります。
非常に興味を惹かれる文言です。
また、
建武2年頃(1335)浅間郷の地頭赤沢氏が諏訪より御射神社を勧請(かんじょう)し後に、御射神社と名称が変わり
とあるように、もともとは御射神社というお名前でなかったことも分かります。
さらに後に御祭神が諏訪大社の神々と同一になったとあります。
これは週末ただたかでも度々取り上げている、神社の御祭神の変遷ですね。
御祭神の変遷に興味のある方は以下記事をご覧ください。
▶さいたま市南西部の神社⑤ 月読社の由緒書きから見る調神社と月読命
▶青春18きっぷでめぐる千葉県の姫神様⑥ 房総半島の神社と御祭神について考察する
御射神社春宮の御祭神のご紹介
御祭神
三才山の山の神(みさやまのやまのかみ)
御祭神(現在)※表記は御射神社由緒書きまま
健御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
さて、
御射神社春宮の御由緒のご紹介でも触れたように、
御射神社のもともとの御祭神は三才山の山の神(みさやまのやまのかみ)です。
後に御射神社とお名前が変わり、そして御祭神も諏訪大社の神々が遷られてきた・・・。
よって現在の御射神社春宮の御祭神は現在の諏訪大社と同じく、
建御名方神(たけみなかたのかみ)
八坂刀売神(やさかとめのかみ)
そして事代主神(ことしろぬしのかみ)が祀られています。
(事代主神は諏訪大社の御祭神ではないと思われる)
御射神社春宮の御祭神の変遷から考えられることは?
①建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀る人々の勢力拡大
諏訪の地を治めたと考えられる建御名方神。
その勢力が現在の松本市まで北上してきたことは考えられます。
②鹿食免(かじきめん)を求めて諏訪大社を勧請した
鹿食免とは肉食が禁じられた時代に、
『でも諏訪大社から鹿食免をもらったらお肉食べてもいいよ』
的なものです。
実はかつて日本では肉食を禁じられた時代があったのです。
③時代が移ろい、人々が三才山の山の神の助けを必要としなくなった・・・
時代は移ろいます。
そして人々にとって、三才山の山の神の助けがいらなくなったのかもしれません。
もしくは三才山の山の神が人々を手助けできない理由が生じたのかも・・・。
御射神社のもともとの御祭神、三才山の山の神とはどのような神様か?
三才山(みさやま)の山の神。
たいへん気になる神様です。
まずその行動がたいへん気になります。
御射神社の境内の由緒書きにあるように三才山の山の神は、
春には里に下って田の神となり、
冬になると三才山に帰って山の神となった。
のだそうです。
さて、
これを文面どおりに受け取ると、
三才山の山の神は農耕の技術を持っていたと考えられます。
長野は松本の地。
冬は雪に覆われ、春になると雪解けが始まり、そして田植えの季節を向かえる。
そして田植えの時期を迎えると三才山の山の神は山を下りてくる。
前回ご紹介した須々岐水神社(すすきがわじんじゃ)でまつられていた須々岐水神(すすきがわのかみ)もまた、農耕の技術を持っていた神と考えられます。
(ちなみに須々岐水神社の御祭神も後世になって建御名方神に変遷している)
同様に三才山の山の神が農耕の技術を持っていたことは十分に考えられます。
しかし!
腑に落ちないことがあります!
冬になると三才山に帰って山の神となった。
とあります。
春になって田の神となった三才山の山の神は、
なぜ冬になると山へと帰っていったのでしょうか?
山の神が帰っていった山とは御射神社秋宮のことかと思われますが、
なぜ山の神は山へと帰る必要があったのでしょうか?
なぜそのまま麓の集落で人々と共に過ごさなかったのでしょうか?
些細なことかもしれません。
しかしその些細なことがたいへん気になります。
三才山の山の神とはどのような神様だったのか・・・。
それを知るには、
御射神社秋宮に参拝させていただくしかなさそうです。
そして周辺の土地と神社も見れば、なにか閃くものがあるかもしれません。