長野は松本の神社①最高のパワースポット?松本城のすぐ近くに鎮座する四柱神社に参拝

長野は松本の神社①最高のパワースポット?松本城のすぐ近くに鎮座する四柱神社に参拝

御祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)

長野は松本城のすぐ近くにある四柱神社。
こちらに四柱神社はパワースポットとして有名なのだそうです。
もうものすごいパワーがあるのだとか。

祀られている御祭神も、
ものすごいパワースポットと言われるに相応しい神様たちです。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊(かみむすびのかみ)は造化三神とも呼称される神々です。
『造化』とあるように、この世界を造られた神々とされています。

そして天照大神(あまてらすおおみかみ)。
天皇家の祖神(おやがみ)であり、
日本国民の総氏神とされる神様であり、
高天原の神々(=天津神)の筆頭とされる神様でもあります。

これだけの神々が祀られている四柱神社。
ものすぎパワースポットとされているのも頷けます。

今回は天津神の筆頭の神々が祀られている、
四柱神社のご紹介です。




松本城近くにある四柱神社へのアクセス

〒390-0874 長野県松本市大手3丁目3−20

松本駅前からはバスも出ている模様。
ですが四柱神社までの道中は繁華街があり、歩いていくのもおもしろいぞ!

いざ、パワーあふれる四柱神社に参拝

松本駅前の繁華街を抜けると四柱神社にたどり着きます。

さて、
四柱神社ほどの神社です。
当然あります。手前に川が。

女鳥羽川(めとばがわ)を渡ると、
そこに四柱神社の鳥居があります。

こちらの橋を渡った先には土産物屋が並ぶ通りが広がっています。

カエルもたくさんいらっしゃいます。

さて、
こちらが四柱神社の大鳥居です。

写真が暗いのは早朝の時間帯だからです。

こちらの大鳥居の正面に四柱神社の本殿(拝殿)があります。

本殿(拝殿)の手前に由緒書きがあります。

こちらに本殿(拝殿)の向かって右手にあるのが、
摂末社の恵比寿神社です。
本殿(拝殿)の脇に並んで鎮座しています。

そしてさすがは四柱神社。
境内も美しい。

また大鳥居の近くには松本市招魂殿があります。

松本城近くにある四柱神社の御由緒のご紹介

 明治天皇御親政に当り、惟神の大道を中外に宣布し給う思召しを以て、明治7年2月
筑摩県庁の所在地である松本に神道中教院(宮村町長松院跡、後神道事務分局)が設立
され、院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の四柱の大神が奉斎さ
れてきましたが、新たに一社を興し、四柱神社として明治12年10月1日、現在地に
厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も新築されました。その経費は、中南信全域
(旧筑摩県)の神職、県庁、その他諸官衙・一般篤志家の浄財と奔走によりました。
 翌13年6月、当地方に初めて行幸があり新築新装になったばかりの神道事務分局を
行在所に定められ、同月24日松本に陛下をお迎えしたのでありました。

四柱神社ホームページより引用)

さて、
四柱神社ホームページにもあるように、
四柱神社が建立されたのは明治時代になってからです。

明治になって建立されたことと、
四柱神社の御祭神は密接につながっているように思われます。

松本城近くの四柱神社の御祭神から、四柱神社を考察する

四柱神社御祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)

冒頭で述べたように、
四柱神社の御祭神はとても偉立派な神様ばかりです。

この世界を造られた造化三神に、
高天原を治める天照大神。
たいへん立派な神様が一緒に祀られている神社なのです。
ゆえにとんでもないパワースポットとされる神社なのです!

しかし!
誤解を恐れず述べるならば!

こちらの四柱神社の御祭神は明確な意図を持って、
四柱神社に勧請されたと考えられます。

というのも、
こちらの四柱神社が明治時代になって建立されたからです。

明治時代といえば、明治維新!
明治維新といえば日本の国力を高める必要があった時代です。
そして日本を一つの国とする必要があった時代でもあります。

そのために時の為政者が行ったことの一つに『廃仏毀釈』があります。

そしてこの廃仏毀釈の目的の一つに、
天皇が神であることを国民に思い出させる
といった意図があったのだと想像できます。

ゆえに、
日本には仏を祀る寺よりも、
日本古来の神々(=天皇家と関わりのある神々)を祀る神社を重要視したのだと思われます。

そして神社にはいろいろな神々が祀られています。
それらの神々のなかでも明治政府にとって大切だったのは、
天皇家に近い神々だったのではないでしょうか?

天皇家に近い神々といえば、必然、天津神(あまつかみ)になります。

そして明治政府にとって、
天津神の筆頭であり、
天皇家の祖神であり、
初代天皇のお祖母さんとされる神様である、
天照大神こそ祀るべき神様だったのではないでしょうか。

そして日本が神々によって造られた神の国であることを示すために、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
の造化三神をも祀ったのではないでしょうか。

そしてこちらの四柱神社の興味深いところが、
天津神の筆頭神々だけではなく、国津神の筆頭神々をも本殿に並列して祀っているところです。

境内摂末社:恵比寿神社御祭神
大国主神(おおくにぬしのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)

配祀:保食神(うけもちのかみ)

こちらの恵比寿神社は昭和27年に建立されたとのことです。
つい最近のことですね。

さて、
一般的に『恵比寿神社』というお名前の神社の御祭神は、
少彦名神(すくなひこなのかみ)か事代主神であることが多いものです。

ですがこちらの四柱神社の境内にある恵比寿神社の御祭神は事代主神だけではなく、
大国主神も祀られています。

大国主神といえば、
言わずとしれた大国・出雲を治めた神様です。
(事代主神は大国主神の御子神)

そして出雲といえば、
古代日本において日本の広範囲を治めていた大国であり、
天照大神の治める高天原から『国譲り』を迫られた国でもあります。

その出雲を治めていた大国主神が四柱神社の境内に祀られている。
本殿と並列の社に。
それも昭和の時代になってから。

これらの事実は、
いったい何を示すものなのでしょうか?

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