さいたま市南西部の神社⑦ 諏訪社に参拝

さいたま市中央区上峰にある諏訪社に参拝

御祭神
建御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)

前回の身形神社に続いて、諏訪社のご紹介です。

諏訪社といえば、御祭神は建御名方命です。
そして建御名方命といえば、たいへん謎の多い神様でもあり、日本の古代史を紐解く上でカギとなる神様でもあると考えています。

今回はそのような建御名方命を祀る、さいたま市中央区にある諏訪社のご紹介です。

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さいたま市中央区にある諏訪社へのアクセス

JR埼京線 与野本町駅から徒歩20分ほど

いざ、諏訪社へ参拝

こちらの諏訪社ですが、高台に鎮座されています。
ですので、

鳥居へと続く階段があります。(他の神社も同じような階段がありますけどね)

鳥居です。きれいな鳥居ですね。

鳥居をくぐった左手に、

諏訪社改築記念碑があります。
昭和60年11月改築とのこと。

記念碑の右手に由緒書きがあります。
木製なところに風情を感じます。

境内の様子はこのような感じ。

奥のほうには遊具もあり、住民の憩いの場となっているようです。

本殿(拝殿)です。

摂末社が二社あります。お名前は不明です。

摂末社の左手に梶の樹が植えられています。
こちらの諏訪社の神紋が梶のようです。

夫婦梶とあります。
こちらはどうやら、諏訪大社から株分けされた梶のようです。

左が雄株、右が雌株だそうです。

そしてこちらの諏訪社ですが、本殿の背後に鳥居があります。
失礼ながら写真を撮らせて頂きました。

かつてはもっと境内が広かったんですかね。
近年境内を縮小した際に、鳥居をこちらに移したのでしょうか。

諏訪社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
建御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)

御祭神の建御名方命は、大国主命の御子神とされている神様です。
国譲りの際、高天ヶ原の要請を大国主命のもう一柱の御子神である事代主命(ことしろぬしのみこと)は承諾しました。

しかし建御名方命は承諾せず、高天原の武の神である建御雷神(たけみかづちのかみ)と勝負をしました。

結果は惨敗。

そして建御名方命は諏訪の地へと逃げて(追いやられて?)、諏訪の地から出ないことを条件に命を助けられるといった話です。

さて、
国譲りによると建御名方命は大国主命の御子神であり、建御雷神に敗れたことで諏訪の地へ追いやられたとあります。
しかし国譲りの建御名方命に関する逸話は、後付けのものであるという説があります。

それというのも、もともと建御名方命は諏訪を治めていた神様だったという説があるからです。

ちなみに、こちらの諏訪社に一緒に祀られている八坂刀売命は建御名方命の奥様とされています。
そしてこちらの八坂刀売命は記紀神話には登場しない神様だそうです。
つまり諏訪の地の固有の神様だと考えられます。

そうだとすると、夫である建御名方命も諏訪の地の固有の神様であると考えられなくもありません。

それではなぜ建御名方命が大国主命の御子神となったのか?
それは、朝廷が諏訪の地を自分たちの治める土地と主張するために必要なことだったからとされています。

国譲りにより、出雲と大国主命は朝廷に国を譲り(服従)ました。
その時点で出雲は朝廷が治める土地と主張することができます。

西の出雲を治めた一方、東には諏訪という厄介な土地があったのかもしれません。
そこを治める神は大国主命にも引けを取らない神であり、その武だけであれば大国主命をも凌ぐ神だったのかもしれません。

朝廷としては諏訪の地を治めたと主張しなくてはなりません。
しかし諏訪の神は手ごわく、完全に服従させることができなかったのかもしれません。

そこで朝廷は、諏訪の神を服従させた出雲系の神と主張することにしたのです。
諏訪の神が出雲系の神であれば、国譲りの際に服従させている。
つまり諏訪の神はすでに(朝廷に)服従しているのだ、と。

もちろん、これは個人の考えです。(同様の主張はありますけど)
これといった根拠はありません。

しかしそうだと仮定すると、建御名方命が大国主命の御子神として登場したことや、諏訪の地に追いやられて諏訪の地から出られなくなったことも納得できます。

大国主命の御子神とすることで出雲系の神様となった。
→出雲は服従させているので、これで諏訪も服従したことになるぞ!

諏訪の地に追いやって、出られなくした。
→そもそも建御名方命は諏訪の神であり、出られなくしたのではなく、諏訪の地から追い出せなかった!

そうねつ造しなければならないほど、建御名方命という神様が強大な力を有する神様だったと考えられます。

その(薄い)根拠の一つとして、

由緒書きにもあるように、諏訪社は北は北海道、南は鹿児島まで全国に五千社以上あるそうです。
相殿、末社等を含めると一万を越えるとあります。

それほど建御名方命のお名前が全国に轟いていたことが想像できます。

こちらが現時点で週末ただたかの考える建御名方命という神様の姿です。
もちろんこれといった根拠のない個人の考えです。

しかし諏訪という土地の優位性や、いまだに続けられている御柱祭などのことを考えると、建御名方命が治める諏訪の地がどれほど強固だったのかを想像できます。

今後諏訪大社に参拝させて頂いた際には、詳しくご紹介させて頂きたいと思います。

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