今回の目次
新橋駅の神社① 心願色みくじのある烏森神社に参拝
主祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
相殿神
天鈿女命(あめのうづめのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
東京の新橋にある烏森神社も、近代的な神社といえます。
由緒書きによると、どうやらこちらの烏森神社が近代的な様相の神社の先駆けなのかもしれません。
新橋といううサラリーマンの街に現代も佇む烏森神社。
今も多くの参拝客で賑わいを見せています。
▶烏森神社の公式ホームページはこちら
からすの恋吉(ゆるキャラ?)が出迎えてくれるぞ!
新橋にある烏森神社へのアクセス
〒105-0004 東京都港区新橋2丁目2−15−5
JR新橋駅 烏森口から徒歩5分ほど
烏森神神社は繁華街のなかに鎮座されている。
周囲は呑み屋が軒を連ねているぞ!
いざ、烏森神社に参拝
こちらが本殿(拝殿)正面の参道。
新橋の繁華街といった雰囲気が漂います。
参道の途中に由緒書きがあります。
かつては一般的な鳥居があったことが分かります。
こちらが現在の烏森神社の鳥居。
近代的というか、前衛的なデザインの鳥居です。
なんだか心がくすぐられるデザインです。
鳥居をくぐると手水舎があります。
烏森神社は手水舎も近代的です。
こちらが本殿(拝殿)です。
近代的、前衛的であり、そして美しい。
個人的にはこういった拝殿もありかなと思います。
こちらが狛犬。
凛々しい狛犬です。
大都会にあって緑が見られるのも嬉しい。
こちらが社務所。
奥へ進むと飲み屋街へ出られます。
御朱印や心願色みくじもこちらの社務所で受け取れるみたいです。
▶心願色みくじに興味のある方はこちらをクリックしてください。
心願色みくじを受け取ったら、本殿(拝殿)右手にある小部屋に向かいましょう。
秘密の小部屋(?)です。
烏森神社の現在の境内はこぢんまりとしているのですが、限られた空間を美しく、そしてどこか厳粛な雰囲気を持って鎮座されています。
大都会東京ならではの神社です。
カラスノモリの起源
もともとは「枯州の森」あるいは「空州の森」だっとようです。
やがてカラスが多く集まり巣を作っていたことから、「烏の森」と呼ばれるようになったとか。
日本語の変遷はおもしろいですな。
烏森神社の本殿(拝殿)のご紹介
主祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
相殿神
天鈿女命(あめのうづめのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
主祭神の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)はお稲荷さんやおきつねさまとして有名な神様。
かつては稲作の豊穣を祈願する神様として崇められ、現代だと商売繁盛の神様として崇められています。
しかし烏森神社の由緒書きによると、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られたのは豊穣を祈願してのことではないようです。
烏森神社の御由緒によると、
平安時代の天慶3年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与えた。その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが、烏森稲荷の起こりである。
(烏森神社ホームページより引用)
とのことです。
豊穣ではなく、戦勝祈願をしたとあります。
稲作の神様とされている倉稲魂命(うかのみたまのみこと)に対してです。
さて、
週末ただたかでは、今まで倉稲魂命(うかのみたまのみこと)をご紹介させて頂いた際、『稲作の神様』であるとか、『須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)との御子神』であるとご紹介してきました。
が、
本来の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)はまったく別の神様であったのではないかという説があります。
そう、そもそも倉稲魂命は土着の神様であったのではないかというのです。
土着の神様という観点で考えると、倉稲魂命は大和朝廷の神々よりも、アラハバキやミシャグチといった土着の神様に近い神様だったのかもしれません。
そして倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る稲荷神社が全国にもっとも多く鎮座されていることから、遥か昔の日本でもっとも勢力を持っていた神様は倉稲魂命なのではないかとも考えられるわけです。
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
お稲荷さんやおきつねさまといったお名前で、私たちにとってもっとも馴染みのある神様かと思います。
しかしその本来のお姿は、実はよく分かっていないのかもしれません。
倉稲魂命についての考察はいずれまた。
相殿神のご紹介
相殿神
天鈿女命(あめのうづめのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
天鈿女命(あめのうづめのみこと)
芸能の神様と崇められることが多い神様です。
それというのも、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に閉じこもってしまった際、天岩戸の前で踊ったことに由来するかと思われます。
天岩戸の前で楽しそうに宴会をすることで、天照大御神に岩戸を開けさせる作戦ですね。
また天鈿女命(あめのうづめのみこと)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨の際にお供をした神様でもあります。
そしてその後、天鈿女命の末裔は猿女君(さるめのきみ)と称されるようになり、宮中で芸事を披露する役目を仰せつかったとか。
ちなみに、
天鈿女命は、瓊瓊杵尊が天孫降臨をされた際に道案内を務められた、国津神の猿田彦命(さるたひこのみこと)と結婚をしたとされています。
▶天鈿女命と猿田彦命に興味のある方はこちらをクリックしてください。
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたる神様。
高天原から天降って地上(芦原中つ国)を治められたとされる。
降り立った後、木花咲耶姫(このはなさくやびめ)と結婚された。
個人的な解釈だと、瓊瓊杵尊こそが実質的な天皇家の祖ではないかと。