浅草橋散策④ 鳥越神社に参拝

鳥越祭がすごい 鳥越神社に参拝

御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
【相殿】
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
東照宮公(とうしょうぐうこう)

浅草橋散策の主題の鳥越神社のご紹介です。

鳥越神社をアド街ック天国で知って以来、いつかは参拝してみたいと思っていました。

こちらの鳥越神社ですが、鳥越祭がすごいようです。

浅草橋の他の神社のご紹介はこちらをクリックしてください。
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鳥越神社へのアクセス

JR浅草橋駅から徒歩10分程度
都営地下鉄 蔵前駅から徒歩5分程度

いざ、鳥越神社に参拝

大鳥居は大通りに面しています。

ですのでうまいこと全景を収めらえれず。
写真撮影に命を懸けるわけにはいきませんので。

大鳥居の左手には由緒書きというよりは、下町まちしるべがあります。

大鳥居をくぐるって参道を左に折れると

このように境内が広がっています。
右手に見えるのが社務所です。

こちらが本殿(拝殿)。

たいへんきれいな社です。

狛犬もすばらしい。デザインが西洋風?に見えなくもないです。

本殿の左手に進むと、

右手に志々岐神社があります。

志々岐神社の向かいには、祖霊舎(と石碑にある)があります。

本殿のほうに戻り、本殿を背に進むと福寿神社があります。

また、境内には台東区神社マップなるものがあります。

鳥越神社の御由緒

 孝徳天皇白雉二年(651年)創立と伝えられ、白鳥明神の那は、八幡太郎義家公奥州征伐の折、白い鳥に浅瀬を教えられ、軍勢をやすやすと渡すことができたとき、鳥越大明神の御社号を奉られたいわれる。
御鎮座1350年の古社。
東京都神社庁のホームページから引用)

鳥越神社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
【相殿】
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
東照宮公(とうしょうぐうこう)

御祭神の情報は東京都神社庁のホームページから引用。

主祭神は日本武尊と考えてよいかと。
神田明神の近くの妻恋神社のご紹介の際に、日本武尊についてもご紹介させて頂きました。
興味のある方は妻恋神社のご紹介をご覧ください。

日本武尊の遠征

お父さんである第12代景行天皇に命じられ日本(当時はまだ日本ではないけど)各地の征討に向かった日本武尊。

現在の九州や山陰地域を征討した日本武尊が帰還するなり、景行天皇は東方の征討も命じられました。

さて、
東方といっても日本武尊はどこまで向かったのか。

なんと、筑波山のあたりまで向かったとのことです。

それほどの範囲を日本武尊は征討していったのだそうです。
関東の多くの神社で日本武尊が祀られていることも頷けます。

余談

日本武尊は一人(一柱)ではなく、複数存在するという説があるそうです。

それというのも、
日本武尊は個人のお名前ではなく、称号のようなものなのではないか?

という考えがあるそうです。

日本武尊というお名前(呼称?)は、

①代々受け継がれるお名前だった

②その地その時の英雄に与えらえれるお名前だった

といったことが考えられます。

ちなみにこの考えは、須佐之男命にも通じるものがあります。
それというのも、
須佐之男命は一柱の神様のお名前ではなく、その地その時の英雄(領主的な?)が関するお名前だったという説もあるそうです。

といっても、真偽のほどは現時点では不明です。

はたして日本武尊という神様は、どのような形で日本を征討したのでしょうか?

鳥越神社の末社のご紹介

志々岐(ししき)神社

御祭神
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

御祭神の豊玉姫命は、山幸彦の奥さんとされています。
山幸彦は天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の御子神。

豊玉姫命と山幸彦の出会いは、山幸彦と海幸彦の釣り針をめぐる争いに端を発します。
ですが、その逸話のご紹介はまたの機会に。

ちなみに豊玉姫命の正体(本体?)は巨大なサメ(古語だとワニ)なのだとか。
さすが神話の世界は表現がすごい!

祖霊舎

鳥越の地にゆかりのある先人を祀っていると思われる。

福寿神社

御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
大黒天神
恵比寿神
菅原道真公

こちらの御祭神は(一般的に)縁起のよい神様がそろっていらっしゃいます。

江戸の気質にあった神様が祀られている、といった感じでしょうか。

以上、鳥越神社のご紹介でした。

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