飛鳥山公園の近くにある七社神社に参拝

飛鳥山公園の近くにある七社神社に参拝

御祭神
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)
市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)
仲哀天皇(チュウアイテンノウ)ー帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト)ー
応神天皇(オウジンテンノウ)ー品陀別命(ホムダワケノミコト)ー

髪にゆかりのある関神社がある王子神社に続いて参拝させて頂いたのが、
こちらの七社神社(ななしゃじんじゃ)です。

七社神社は飛鳥山公園のすぐ近くにあります。
飛鳥山公園の南側の出口を出て、住宅地の路地を進んでいくと七社神社があります。

こちらの七社神社ですが、
想像していたよりも大きな神社でした。

今回は境内に孔子や孟子の像があったり、柑橘系の果実が実っていたりする、七社神社のご紹介です。




飛鳥山公園の近くにある七社神社へのアクセス

〒114-0024 東京都北区西ケ原2丁目11−1
JR王寺駅から徒歩10分足らず

JR王子駅から飛鳥山公園を抜けると七所神社がある!
住宅地の狭い路地を抜けて七所神社に出ると、ちょっと不思議な感じがするぞ!

いざ、飛鳥山公園近くの七所神社に参拝

私は飛鳥山公園を抜けて、住宅地の路地を通って七所神社へ向かいました。
しかし、
参道からしっかりとお参りしたい!というかたは滝野川警察署に隣接して大鳥居がありますので、そちらから参拝するのがおすすめです。

七所神社の境内図はこちらをご覧ください。

こちらが七所神社の大鳥居です。

かなり大きな鳥居です。
まさか七所神社にこれほど大きな鳥居があるとは・・・。
偶然見かけることができて幸運でした。

さて、
こちらが七所神社の鳥居です。

鳥居をくぐると、正面に本殿(拝殿)があります。

また、
境内には大きな大きな公孫樹(いちょう)の樹があります。

とても大きな公孫樹です。
美しく色づく季節にあらためて見てみたいものです。

本殿(拝殿)の左手に摂末社があります。
本殿(拝殿)に近い摂末社からから、

右の社が三峯神社と菅原神社です。
三峯神社の御祭神は三峯大神(七所神社ホームページまま)。
多くの場合、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)とされています。
菅原神社の御祭神は菅原道真公です。

左の社が稲荷神社です。
御祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)です。

そしてこちらが天祖神社です。
もともとは一本杉神明宮というお名前でこの地に祀られていたのだそうです。

御祭神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)と豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)。
七所神社ホームページまま)

天照大御神は伊勢の神宮の内宮(ないくう)、
豊受大御神は伊勢の神宮の外宮(げくう)に祀られている神様です。

こちらの天祖神社(一本杉神明宮)の裏手には、いまでも一本杉が残されています。
明治四十四年ごろに枯れてしまったそうですが、その後伐採せずに、幹の部分だけでも残したそうです。

そしてこちらがおそらく疱瘡神社です。

御祭神は疱瘡神(ホウソウガミ)。(七所神社ホームページまま)
疱瘡神社の御祭神はいまだ私のなかではっきりとしていません。
疱瘡神社の御祭神を須佐之男命(すさのおのみこと)としている神社もあります。
おそらく疱瘡=疫病、そして疫病神として須佐之男命が祀られたのだと推測されます。

そしてなぜか、
こちらの社だけ向いている方向が違います。
なぜでしょうか?

また、
摂末社と本殿(拝殿)の間には柑橘系の果実が実る樹があります。

神社で柑橘系の果実を見るのは珍しい気がします。
個人的に柑橘系の樹が好きだったりするので、いいなぁ、とか思ったりします。

そしてそして、
なぜか境内に孔子と孟子の像があります。

孔子と孟子といえば儒教。

その孔子と孟子がなぜ七所神社の境内に祀られているかは・・・なぞです。

七所神社の御由緒のご紹介

当神社は往昔の御創建ながら、寛成五年(1793)の火災により古文書、古記録等を焼失したため詳らかではありません。 しかし、翌年9月秋分の日に御社殿は再建され、故にこの日を当社の大祭日と定め、現在も賑やかなお祭りが執り行われています。当時は仏宝山無量寺の境内に祀られ、「江戸名所図会」には無量寺の高台(現・古河庭園内)に「七社(ななのやしろ)」として描かれています。

明治時代になり、元年(1868)に神仏分離が行われ翌2年に一本杉神明宮の社地に遷座され、西ヶ原村の総鎮守として奉祀されるに至りました。

また、「新編武蔵風土記稿」には、「西ヶ原村七所明神社、村の鎮守とす紀伊国高野山四社明神をおうつし祀り、伊勢・春日・八幡の三座を合祀す故に七所明神と号す。末社に天神・稲荷あり云々」と記されています。

さらに、この境内から隣地にかけての一郭は「七社神社裏貝塚」として知られ、縄文土器・弥生土器・土師器(はじき)等が発見され古代人の生活の場であった事がうかがわれます。現在でも、西ヶ原・栄町の総鎮守として篤い崇敬を集めています。
七所神社ホームページより引用)

ちなみに高野山四社(所)明神とは、

高野四所明神(こうやししょみょうじん)とは、高野山の麓(ふもと)にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の祭神で、高野の地主神(じしゅしん)である高野(狩場(かりば))明神と丹生明神(にうみょうじん)、それに鎌倉時代に加えられた気比明神(けひみょうじん)と厳島明神(いつくしまみょうじん)のこと。
文化遺産オンラインより引用)

とのこと。

それにしても、
高野山四社明神に加え、伊勢・春日・八幡の三座を合祀とは豪勢なことです。
(豪勢という単語が適切かは置いといて)

七所神社の御祭神のご紹介

伊邪那岐命(イザナギノミコト)

神代七代の最後に生まれた男神で、天の御柱を周り伊邪那美命と結婚し、国生みを成し遂げ、多くの神々を生み出した天津神。

伊邪那美命(イザナミノミコト)

神代七代の最後に生まれた女神で、天の御柱を周り伊邪那岐命と結婚し、国生みを成し遂げ、多くの神々を生み出した天津神。

天児屋根命(アメノコヤネノミコト)

天照大神が天の石屋に閉じこもった際「祝詞(のりと)」を奏上した神で、中臣の祖神として信仰され、祝詞の神とも言われている。また天孫降臨の際には邇々芸命(ニニギノミコト)の従者として共に降臨した。

伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)

天照大神が天の石屋に閉じこもった際「八咫鏡」を鋳造した、鏡作りの祖神。また天孫降臨の際には邇々芸命(ニニギノミコト)の従者として共に降臨した。

市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)

天照大御神と須佐之男命の誓約(うけひ)の際、成った宗像三女神の一柱の神。航海の守護神・水の神。

仲哀天皇(チュウアイテンノウ)ー帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト)ー

第十四代天皇。倭建命(ヤマトタケルノミコト)の子、応神天皇の親。

応神天皇(オウジンテンノウ)ー品陀別命(ホムダワケノミコト)ー

第十五代天皇。母は神功皇后。八幡信仰の祖。厄除け・成功勝利の神徳。

七社神社ホームページより引用)

七社神社の御祭神ですが、正直ご紹介が難しいところです。

というのも、
由緒が気にあるように様々な神社が合祀されているため、関わりの薄いと思われる神々が祀られていると受け取れるのです。

しかし!
七社神社の御祭神を見て思うところがあるとすれば!

どの神様(天皇)も力を持った神様ばかり

といったところでしょうか。

そのような神々を勧請することができた七所神社。
かつてこちらの七所神社は大きな力(権力)を持った神社だったのかもしれません。

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