鷲神社と吉原を巡る① 鷲神社近くの三島神社に参拝

鷲神社と吉原を巡る① 鷲神社近くの三島神社に参拝

御祭神
大山積命(おおやまつみのみこと)
身島姫命(みしまひめのみこと)
⇒木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
和足彦命
⇒石長姫命(いわながひめのみこと)
上津姫命 (雷神)
下津姫命 (龍神)

鷲神社(おおとりじんじゃ)に参拝したい。
と思いつつも長らく参拝できずにいましたが、先日ようやく参拝させて頂くことができました。

いざ、鷲神社へ!
と歩いていると、道中に三島神社がありましたので、参拝させて頂きました。

こちらの三島神社には雷井戸の伝説があるなど、興味を惹かれる神社です。
雷井戸に雷が落ちないことから、
試験に落ちない!
といった御利益もあるそうですよ。

御祭神の表記は境内にある由緒書きのままです。
しかし三島神社公式ホームページによると、

大山祇命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の兄にあたる神様で、日本総鎮守の神様といわれています。配祀としてお祭りしている、上津姫命は磐長姫命(いわながひめのみこと)、下津姫命は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と考えられており、大山祇命の娘にあたる神様
三島神社公式ホームページより引用)

とあります。
境内にある由緒書きには

大山命とあります。

また、

身島姫命(みしまひめのみこと)
⇒木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
和足彦命
⇒石長姫命(いわながひめのみこと)

とありますが、どちらが正しいのでしょうか?

和足命の『彦』だ男神を指すのでは、という推測から、おそらく公式ホームページが正しいと思われます。
ですが境内にある由緒書きの記載のままに当サイトでは表記させて頂きます。
当サイトには
『自分で見たものを記す』
というコンセプトがありますので。

ちなみにこちらの三島神社の御本社は静岡にある三嶋大社ではなく、
愛媛県今治市大三島にある大山祇神社のようです。

愛媛にある大山祇神社ですが、すてきなところにあるようです。
まさか瀬戸内海の島にあるとは・・・。
歴史的に瀬戸内海は要所だったそうですから、ここに大山祇神社があるというのは非常に興味を惹かれます。
ぜひ一度参拝させて頂きたいものです。

ちなみに、
一般的に大山祇命は山の神とされているのですが、

三島神社の御祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)(おおやまづみのみこと)。「やまつみ」とは「山を持ち坐(いま)す」という意味を表しており、大山祇命は山の神様です。また、大山祇命は『伊予国風土記』では和多志大神(わたしのおおかみ)とされており、「わた」は海の古語であることから、海の神様でもあります。
三島神社公式ホームページより引用)

なのだそうです。
おそらくですが、もともと大山祇命と和多志大神は別の神様であったと考えられます。
(和多志というお名前が一文字に一音なので古くからある信仰と考えられる)

いつのタイミングか、なにかしらの都合によって大山祇命と和多志大神が習合されたのではないでしょうか?
非常に興味を惹かれるところですが、
興味のない方にはつまらない話題なので今回は触れません。
私もまだよくわかっていないですし。




台東区の三島神社へのアクセス

JR鶯谷駅から徒歩10分ちょっと

道中は方向感覚が奪われるので(私だけ?)道に迷うぞ!

いざ、台東区の三島神社に参拝

こちらが鳥居です。

こちらが境内の様子。
こじんまりとした神社ですが、きれいな神社です。

鳥居をくぐって左手にあるのが雷井戸です。

昔、武蔵野の原野は雷が多く、里人たちはいつも怖い思いを強いられていました。そんなある日、三島神社の境内に雷が落ちたときのことです。神主が雷を井戸の中に封じ込めたところ、雷が「井戸から出してくれ」と頼んだそうです。神主は「二度とこの地に落ちない」ことを約束させ、雷を許してあげたという伝説が残っています。

以来、この地には雷が落ちないといわれており、井戸は雷除けの井戸として信仰されています。
三島神社公式ホームページから引用)

昔の武蔵野の原野は雷が多かったようです。
雷といえば武御雷大神(たけみかづちのおおかみ)を連想させます。

雷井戸を過ぎると火除稲荷社があります。

境内には火除稲荷社(三島神社の地主神)が鎮座されています。昔、徳川氏が上野山内の火難方位除けのために勧請したと伝えられており、古くは「ミサキ稲荷社」と称していました。後に、この地が火除地と定められ、その際、火除稲荷と改称されましたが、その創建年代等、詳しくはわかっていません。

今日では、火難除け、商売繁盛、家内安全、防災、安全の神様として敬われています。
三島神社公式ホームページから引用)

御祭神は保食命(うけもちのみこと)。
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ではないようです。

そして稲荷神社でありながら、火除の信仰があるようです。
東京の稲荷社には火除の信仰があるものが多いように感じます。

そしてこちらが本殿(拝殿)です。

本殿(拝殿)の右手前には大きな楠があります。

本殿(拝殿)の左手には吉原の面影が・・・。

奥に見える通りが吉原へと続いていたようです。

奥の通りは樋口一葉の『たけくらべ』にも登場するそうです。
樋口一葉好きにはたまらない神社です。
(私は樋口一葉マニアではない)

台東区の三島神社の御祭神のご紹介

御祭神
大山積命(おおやまつみのみこと)
身島姫命(みしまひめのみこと)
⇒木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
和足彦命
⇒石長姫命(いわながひめのみこと)
上津姫命 (雷神)
下津姫命 (龍神)

前半で御祭神についてはいくつかご紹介させて頂いたのですが、
あらためて御祭神について引用させて頂きます。

三島神社の御祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)(おおやまづみのみこと)。「やまつみ」とは「山を持ち坐(いま)す」という意味を表しており、大山祇命は山の神様です。また、大山祇命は『伊予国風土記』では和多志大神(わたしのおおかみ)とされており、「わた」は海の古語であることから、海の神様でもあります。

大山祇命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の兄にあたる神様で、日本総鎮守の神様といわれています。配祀としてお祭りしている、上津姫命は磐長姫命(いわながひめのみこと)、下津姫命は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と考えられており、大山祇命の娘にあたる神様で、この親子には次のような神話が残っています。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫として高天原(たかまのはら)から降臨した邇邇藝命(ににぎのみこと)は、美しい木花開耶姫命と出逢い、一目惚れします。そこで、父である大山祇命に結婚の許可をもらいにいくと、大山祇命は大変喜び、姉の磐長姫命共々、邇邇藝命に差し出しました。ところが邇邇藝命は、磐長姫命がとても醜かったので追い返してしまったのです。

実は、大山祇命が磐長姫命をも差し出したのは、邇邇藝命の命が磐のように恒久であれという誓約(うけい)に基づくものでした。

 誓約とは、「そうならばこうなる、そうでないならばこうなる」とあらかじめ宣言し、その結果によって吉凶、成否などを判断する、古代の占いのこと。磐長姫命を返してしまったことで、邇邇藝命の子孫の神様は長命ではなくなったとされています。
現在では、磐長姫命は長寿の守護神として信仰されており、一方の木花開耶姫命は、火の中で邇邇藝命の子供を出産したという説話から、火の神や安産の神とされています。
三島神社公式ホームページから引用)

磐長姫命と木花開耶姫命の逸話が分かりやすく紹介されています。
とくに誓約(うけい)の意味が分かりやすくてすてきです。

磐長姫命と天皇家の関りを示すエピソード

磐長姫命の逸話ですが、なんとも悲しいものです。泣きそうになります。
磐長姫命の心境はどのようなものだったでしょうか。

さて、
こちらの磐長姫命の逸話ですが、天皇家にとってなくてはならいエピソードになっています。

それというのも、対外的に天皇は神である、と示していました。
天皇が神であるからこそ、人々を統治する正当な理由となっていたのです。

しかし人々に生じる疑問

「なぜ天皇は神なのにお亡くなりになるのだろうか?(神は不死じゃないの?)」

に理由を示さなければなりません。
そのために必要なエピソードが、磐長姫命の逸話なのです。
天孫である瓊瓊杵尊が磐長姫命を受け入れなかったがために、瓊瓊杵尊の子孫(=歴代天皇)は寿命という枷にとらえられてしまったのです、と。

大山祇命とはどのような神様か?

気になる方は気になるはず。

一般的には大山祇命は山の神様です。
しかし三島神社の公式ホームページによると、海の神様であるともされています。

それは愛媛県にある大山祇神社の鎮座されている場所を見ても明白です。

さて、
日本の神話には大きく分けて(ものすごくざっくりと)3つの勢力があります。

一つは高天原。
神話では天照大神や天孫・瓊瓊杵尊が該当します。
実際は大和朝廷であったり大陸(南方経由?)から来た人々???

一つは芦原中つ国(主に出雲)。
神話では出雲を治めた大国主命。しかし須佐之男命もこちらに含まれると思われます。
実際は出雲(日本海側の大部分を統治した国家?)であったり、大陸(朝鮮半島経由?)から来た人々???

一つは海人。
神話では海神(わだつみ)の人々であり、海神の信仰した神々。
ただし海神は一部族ではなく、多くの部族がいたのでは???
長野にある安曇の安曇氏も海神だったそうです。
神様としては宗像三女神や住吉三神といった神々が考えられます。

さて、
大山祇命ですが、もともとは海神の神として信仰されていた和多志大神(わたしのおおかみ)が大山祇命と習合したお姿と考えられます。
(※とくに根拠はない!)

今回たまたま参拝させて頂いた台東区の三島神社ですが、思わぬところで大山祇命の他の側面を知ることができました。
やはり実際に参拝することで気づくことがあります。

いずれ愛媛県の大山祇神社にも参拝してみせる・・・かも。

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