今回の目次
鷲神社と吉原を巡る② 酉の市起源発祥の神社、浅草鷲神社に参拝
御祭神
天日鷲命(あめのひわしのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
雷井戸の伝説のある三島神社に続き、浅草にある鷲神社に参拝させて頂きました。
鷲神社はおおとり神社とお読みします。
わし神社ではありません。
さて、
浅草にある鷲神社は酉の市発祥の地なのだそうです。
酉の市といえば
十一月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われます。十一月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれます。
以前は、酉の祭(とりのまち)と呼ばれていましたが、次第に市の文字があてられてきました。祭に市が立ったのです。酉の市(酉の祭)は、鷲神社御祭神の御神慮を伺い、御神恩に感謝して、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。社号も昔は鷲大明神社と称していました。元来鷲大明神社の「大」は敬意、「明神」は神を奉る号です。「東都歳時記」には、酉の日・酉の祭、下谷田甫鷲大明神社当社の賑へることは、今天保壬辰(1832)より凡そ六十余年以前よりの事、とあり、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていたことがわかります。
(浅草鷲神社ホームページより引用)
私も酉の市で小さな熊手を購入しています。
いずれ大きな熊手を・・・。
さて、
こちらの鷲神社ですが、
酉の市発祥の地ということでも興味を惹かれるのですが、個人的に『鷲』神社という神社に興味を持っていますので、ぜひ参拝させて頂きたいと思っていました。
そして実際に参拝させて頂いた感想として、
やはりたいへん興味を惹かれる神社でした。
境内にあるこちらの門にある紋、見覚えのある方もいるのではなにでしょうか?
浅草鷲神社へのアクセス
〒111-0031 東京都台東区千束3丁目18番7号
電車でのアクセスは不便
バスを利用するか、散歩がてら歩いていくのがおすすめ
境内は幹線道路に面していて、これぞ東京にある神社、といった感じがするぞ。
いざ、浅草鷲神社に参拝
幹線道路に沿って歩いていると、鷲神社が見えてきます。
いかにも酉の市発祥の地といった趣です。
これぞ鷲神社です。
こちらが鳥居です。
鳥居の脇には由緒書きがあります。
鳥居をくぐると境内が広がっています。
整然とした境内です。
背後にそびえる建物が大都会東京らしい。
掲題図をご覧になりたい方は鷲神社ホームページが分かりやすいですよ。
こちらが門(叉木というのでしょうか?)。
門にある紋ですが、月星紋というようです。
そう、月星紋といえば妙見菩薩です。
こちらの鷲神社ですが、妙見菩薩と関わりのある神社のようです。(後述)
こちらが本殿(拝殿)です。
格式と近代的要素がうまい具合に入り混じった社殿です。
左上に回廊が見えます。
『瑞鷲渡殿』と額にあります。
空中に浮かぶ回廊。
大空を翔ける鷲に相応しい。
また、こちらの『瑞鷲渡殿』は憩いのスペースとなっていて、ゆっくりすることができます。
鳥を模したかわいらしいお守り?もありますので、かわいいものが好きな方にはたまらないですよ。
鷲神社の隣にある鷲在山長國寺のご紹介
浅草の鷲神社の隣には鷲在山長國寺があります。
隣にあるというよりは、もともと一つの寺院だったのかもしれません。
こちらが鷲在山長國寺の山門です。
こちらが本堂です。
鷲妙見尊(おとりさま)とあります。
そしてその上に見える●が七つの門が七曜紋。
右手にあるのが鷲神社と同じ月星紋。
鷲在山長國寺のホームページに興味深い記述がありますので、一部引用させて頂きます。
鎌倉時代、文永2年(1265年)宗祖、日蓮大聖人が上総国鷲巣(かずさのくにわしのす-千葉県茂原市)の小早川家(現在の大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を願って祈ったところ、にわかに明星(金星)が動き出し不思議な力をもってして現れ出でたと伝わるのが鷲妙見大菩薩です。それは11月酉の日のことでした。
七曜(しちよう)の冠を戴き、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」とか、「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊として親しまれています。とりわけ、応現の日にちなんで開催されてきた、浅草「酉の市」の本尊として江戸の昔より広く信仰されてきました。(鷲在山長國寺ホームページより引用)
長國寺の鷲妙見大菩薩は、北斗七星の第七星である、破軍星(はぐんせい)を戴いて顕現した妙見菩薩です。そのため江戸時代には長國寺の鷲妙見大菩薩は「破軍星」ともいわれたのです。
妙見菩薩とは北斗七星と北辰星(北極星)が仏教神となったもので、古来より衆生を吉方に導き、なかでも、北斗七星の第七星である破軍星は武運長久を守護すると信じられてきました。
七曜を長國寺の寺紋とするのは、その紋章が妙見菩薩の表象であるためです。当山に安置される鷲妙見大菩薩(鷲大明神)の出現が、前記のように11月酉の日でしたから、その日をご開帳日と定め、以来、今日まで多くの善男善女から篤い尊崇を受けています。(鷲在山長國寺ホームページより引用)
浅草鷲神社の御由緒
鷲神社は天日鷲命(あめのひわしのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした由緒正しい神社です。現在は「おとりさま」として一般にも親しまれ崇敬を集めており、また十一月の例祭も現在は「酉の市(とりのいち)」として広く知られています。
社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。
天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。
江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが、正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。
(鷲神社ホームページより引用)
浅草鷲神社の御祭神のご紹介
御祭神
天日鷲命(あめのひわしのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
御祭神は天日鷲命と日本武尊とされています。
ですが由緒書きによると
日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。
とありますので、
もともと祀られていたのは天日鷲命と考えられます。
さて、
天日鷲命という神様と、鷲神社という神社は、関東圏に多くあります。
(他の地域にもあるのかもしれませんけど)
鷲神社は埼玉県にも多くあり、興味深い分布をしています。
さて、
こちらの天日鷲命という神様ですが、どのような性質を持つ神様なのでしょうか。
天岩戸の逸話にも出てくる神様ですので、高天原側(=朝廷側)の神様と考えるのが妥当でしょうか。
コトバンクによると、
「日本書紀」「古語拾遺」などに見える神。阿波の斎部(いんべ)氏の祖神。天照大神が天の岩屋戸に隠れた時、木綿(ゆう)で、祈祷用の和幣(にぎて)を作る。その子孫は木綿、麻の栽培を仕事とした。麻植神(おえのかみ)。
(コトバンクより引用)
斎部氏の祖神であり、
木綿や麻の栽培に関りがある神様のようにも思えますし、
いんべ【斎部/忌部】
《「いみべ」の音変化》姓氏の一。大和朝廷で中臣(なかとみ)氏と並んで祭祀(さいし)をつかさどった一族。平安初期に忌部を斎部と改称。いむべ。
[補説]「斎部/忌部」姓の人物
斎部広成(いんべのひろなり)(コトバンクより引用)
祭祀を司る神様とも考えられます。
浅草の鷲神社と平将門の関係性
さて、
鷲神社にも隣接する長國寺にも、妙見菩薩の存在が窺えます。
そして妙見菩薩といえば、平将門が思い起こされます。
▶平将門と妙見菩薩の関係性に興味のある方はこちらをご覧ください。
また、千葉にある千葉神社も妙見菩薩と関係の深い神社です。
さて、
地理的に鷲神社が鎮座されている土地で、平将門を信仰していた人々がいても不思議ではありません。
やはりかつての関東の地では、平将門という存在が大きかったようです。
鷲神社に参拝させて頂くことで、まさか平将門を連想することになるとは・・・。
やはり神社は実際に参拝してみるといろいろな発見があります。