蕨市にある和樂備神社とおかめ市

日本一小さな市にある和樂備神社

御祭神
誉田別尊(ほんたわけのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

埼玉県南部にある蕨市。
日本でいちばん小さな市として有名な蕨市。
成年式(成人式)発祥の地、蕨市。
恋ダンスがヒットした星野源の出身地、蕨市(アドマチック天国情報)。
マスコットキャラクターが『ワラビー』というなんのひねりもない蕨市。
ワラビーとカンガルーは大きいか小さいかだけで判断されるという衝撃の事実。

日本一小さな市でありながら、たくさんの魅力に溢れた蕨市にある和樂備神社に参拝してきました。




和樂備(わらび)神社へのアクセス

JR京浜東北線から徒歩10分ちょっと

いざ、和樂備神社へ参拝

参拝日はちょうどおかめ市が行われていた12月17日でした。
ホームページによると毎年12月17日に行われるようです)

ですので境内は参拝客が多く賑わっていました。
それでも氷川神社の十日市に比べると混雑は少なく、十分参拝することはできました。

和樂備神社の境内

見にくい方は和樂備神社ホームページをどうぞ。

北鳥居をくぐったところに案内図が設置されています。
とても丁寧に説明されていて分かりやすいです。

御祭神についてや

由緒もあります。

ちょっと長いですが。

当社の創建は明らかではないが、社伝によれば、室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡大神を奉斎したのがはじまりであるという。ところで、「渋川直頼譲状写」(加上家文書)には、観応3年(1352)渋川直頼から嫡子金王丸に譲られた所領の内に「武蔵国蕨郷上下」が記載されている。また、「鎌倉大草紙」には、長禄元年(1457)渋川義鏡は、曽祖父義行が蕨を居城としていた関係で、室町幕府から関東下向を命じられたとある。さらに、当社の旧御神体「僧形八幡立像」には、天正11年(1583)の墨書銘があり、創建の年代をうかがい知ることができる。江戸時代には「蕨八幡」、「上の宮」と呼ばれ、「中の宮」(氷川社)、「下の宮」(氷川社)と共に蕨宿三鎮守として、重きをなした。三学院末成就院が別当として祭祀を掌った。

明治6年村社に列し、明治44年(1911)12月15日町内の18社を合祀して「和樂備神社」と改称する。岡田健次郎町長の草案をもとに東宮侍講文学博士本居豊頴先生が命名したという。また、合祀に伴い埼玉県菖蒲町出身の林学博士本多静六先生に設計を依頼し、境内整備が行われ、大正の末に現在の風致の原形が完成する。

昭和20年(1945)、神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)により国の管理を離れ、同28年(1953)宗教法人法による登記が完了する。

和樂備神社ホームページより抜粋

文末に
「国の管理を離れ、宗教法人による登記が完了する」
とあります。
神社本庁に属していない神社ということでしょうか。

いざ、参拝

一の鳥居。

こじんまりとした鳥居です。
その下の橋、太鼓橋ですが、

大賞11年に造られたとのこと。
当時は橋の下を見沼代用水が流れ、周囲の田畑を潤していたとのこと。

出ました見沼代用水
氷川女體神社の手前を流れている見沼代用水が、当時はここまで流れていたということでしょうか。
やはり見沼は埼玉にふかーく関わっていたんですね。

一の鳥居をくぐると

右手に舞殿。

その舞殿の奥に

石塔があります。
ほうきょういんとう
と読みます。難読である。

一の鳥居をくぐりまっすぐいくと、大鳥居があります。
が、
参拝客が多く、写真を取ることはかなわず。

大鳥居をくぐると手水舎があります。

偶然誰もいない瞬間が。
ささっとカメラに収める。

この手水舎の水鉢ですが、もともと豆腐屋の水槽に使われていたとのこと。
ということは、ここに豆腐が並べられていたわけですね。

かつて豆腐が並べられていた手水舎で手と口を清めた後は、いよいよ参拝です。

和樂備神社の本殿

御祭神
誉田別尊(ほんたわけのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

誉田別尊(ほんたわけのみこと)

全国に多数鎮座する八幡宮に祀られている神様。
第15代応神天皇の諱(いみな)。
こちらの応神天皇が実在した最初の天皇とする説もあるとのこと。
お母さんである神功皇后も様々なエピソードを持つ。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

埼玉の神社でよくお見かけする。
関東圏に多数鎮座する氷川神社に祀られている。
興味のある方はこちらをどうぞ。

和樂備神社は
『江戸時代には「蕨八幡」、「上の宮」と呼ばれ、「中の宮」(氷川社)、「下の宮」(氷川社)と共に蕨宿三鎮守として、重きをなした』
とあります。

他にも本殿に祀られている神様は多数いらっしゃいますが、
八幡宮と氷川神社が和樂備神社の大元であろうことから、二柱の神様のご紹介とさせて頂きます。

和樂備神社の摂末社

稲荷社

御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

こちらは和樂備神社の前身の宮田の八幡社の本殿だったとのこと。
合祀されても当時の本殿が境内にあるというのはよいものです。
説明書きも丁寧でありがたい。

天神社

御祭神
菅原道真命

こちらも宮田の天神社の本殿だったとのこと。

不明な摂末社

御祭神
不明

神池のすぐそばにある。
境内案内図にも載っていない。


こちらの神池の近くにあるから弁天社だろうか?

和樂備神社には他にも摂末社がある模様。
だが回り切れなかったことと、合祀された神社と御祭神があまりにも多くいらっしゃるのでご紹介は控えさせて頂く。

和樂備神社の超個人的考察

といっても、
これだ!と閃いたことはなかったりする。

和樂備神社を参拝して分かったことは、現在の蕨市の辺りも水田が広がっていただろうこと。
故に御祭神は須佐之男命や稲倉魂命なのだろう。
また見沼代用水が和樂備神社にも流れていたことを知れたのは収穫であった。
見沼代用水は埼玉の人々の生活に密着していたのだろう。

手水舎の水鉢にもきっと見沼代用水が使われていたのだろう。
見沼代用水で作られた豆腐、食べてみたかったかも。

和樂備神社サイドトリップ

蕨城址公園

和樂備神社に隣接している。
城跡はないが、芝生の広場が広がっていて気持ちがいい。
暖かい季節なら芝生の上に寝っ転がるのもいいかもしれない。

こちらは城の堀を再現したのだろうか。
それとも神池の一部だろうか。(それほど和樂備神社と近い)

成年式発祥の像

蕨市は成年式発祥の地です。
アド街ック天国の受け売りですけども。
成人式ではなく、成年式らしいです。

中山道武州蕨宿

せっかくなので足を伸ばしてみたが、日曜だったからか閑散としていた。
なので特になにをしたというわけもない。

11月3日は宿場まつりという祭りをやっているみたい。

ホームページ中ほどにあるワラビー君の表情は一見の価値あり、かもしれない。

以上、ワラビー情報でした。
小さめのカンガルーがワラビーです。

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