高麗神社参拝② 高麗王若光を祀る高麗神社

高麗王若光を祀る高麗神社に参拝

御祭神
高麗王若光(こまこきし じゃっこう)

高麗神社のご紹介の前に、ちょっとアナウンスを。
こちらの高麗神社は高麗というお名前や、御祭神からも想像できるとおり、高句麗に由来する神社とされています。
高句麗といえば現在の朝鮮半島と中国大陸の東端あたりでしょうか。

ゆえにこちらの高麗神社を考察していくと必ず渡来人の話になります。
必然、朝鮮人(というのもどうか)の話にもなります。

週末ただたかは神社を通して歴史や当時の人々の生活を想像することを主としています。
そこに政治的意図とかいったものは一切ありません。

しかし!
もしそういったものに敏感な方がこのページを開いてしまった場合は、すぐページを閉じることをおすすめします。

といったところで、まずは高麗神社の前を流れる高麗川から見ていきましょう。

高麗川にある他の神社に興味のある方はこちらをクリックしてください。
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野々宮神社から高麗川を越えて高麗神社へ

野々宮神社から徒歩3分程度で高麗川へ出ます。

河原ではお酒を呑んでいる方も。すてきな休日の過ごしかたです。

こんな幅の狭い橋も。
新井橋、というようです。

高麗川の流れは穏やかで、浅いところも多いようです。

私は川好きなので、たまりません。
そんなたまらない川を眺めたりしながら、野々宮神社からゆっくり歩いて15分程度で高麗神社に到着。

高麗川駅から高麗神社へのアクセス

JR八高線 高麗川駅から徒歩20分程度

のんびり歩いてくのがおすすめです。

いざ、高麗神社へ参拝

大鳥居です。立派です。

神域俯瞰図です(そう書いてある)。
左の方には高麗神社の紹介が日本語以外で書かれています。インターナショナルです。

ちなみにこちらが日本語版。

高句麗人は騎馬民族であったと書いてあります。

こちらが鳥居(二の鳥居にあたるのでしょうか)。

こちらの鳥居の右手に駐車場があるのですが、そこにあるのが

出ました、天下大将軍と地下女将軍。
チャンスンといったりするようです。魔除け的なものなのでしょうか。
高麗川にはこのチャンスン?がいたるところにあります。いくつか写真に収めてきましたので、随時ご紹介します。

さて、鳥居をくぐるといよいよ本殿です。
そう、こちらの高麗神社は意外と控えめな大きさの境内なのです。
(隣接している山も境内だと思われるので、ものすごく広いとも言える)

高麗王若光を祀る高麗神社の本殿

御祭神
高麗王若光(こまこきし じゃっこう)

高麗王若光

お名前にあるように、高句麗の王(もしくは相当身分の高い方)です。
王は『こきし』と読むようです。
『こきし』とは古代朝鮮語の『こんきし』、つまり王を指す言葉のようです。

高麗王若光が現在の高麗川に来るまで

ざっくりマンデー並にざっくりですが、

668年に高句麗は滅んだとされています。
その2年前、666年に高麗王若光は渡来してきたのだとされているそうです。

高麗王若光が日本にいる間に高句麗は滅んでしまったため、帰国することもできず日本にとどまったそうです。
そして703年に朝廷から『高麗王(こまこきし)』の称を賜ったそうです。
高麗は氏、王は姓(かばね)だそうです。

高麗王若光が高麗川(高麗郡)にやって来たのは716年だそうです。
その前は高来(たかく)神社にいらっしゃったそうです。高麗(たかく)神社とも書くとか?
現在のJR東海道本線の平塚駅の辺りです。

高麗王若光が高麗川に来たの時には、来日から五十年経っていたとのことですから、相当のお歳になっていたはずです。
それゆえ、白髭明神として人々に敬愛されたとか。
(ちなみに白髭神社は必ずしも高麗王若光を祀っているわけではないらしい)

余談ですが、実は現在の関東には古くから渡来人が移住してきている。
代表的なところが
現在の日高市辺りの高麗郡と、
現在の群馬県高崎市辺りの多胡(たご)郡と、
現在の新座市辺りの新羅郡。

高麗神社の境内をご紹介

ちなみに境内にある説明書きは

左半分はハングル。野々宮神社も同じでした。

出世明神の由来。私も出世できるのでしょうか?

高麗神社にある水天宮

御祭神
安徳天皇

こちらは摂末社と言ってよいのか分からない。
というのも、高麗神社にはこちらの水天宮を除いて摂末社が見当たらない。
おそらく高麗王若光を祀るという性質上、他の神社のように摂末社を配置する必要性がないのではないかと思われる。

ちなみにこちらの水天宮は、

ちょっとした山の中にある。
登るのに5分程度だっただろうか。
登った先には、

鳥居と、

このような空間が広がっている。

ちなみに山を登るのは難しいという方には

遥拝所もあるので安心。

高麗神社の奥にある高麗家住宅

残念ながら中には入れなかった。
また建物の裏には

このような門があった。
裏手の山には関係者以外入れないとのこと。

高麗神社の巫女舞

巫女さんである。かわいい(気がする)。
鷲宮神社の鷲宮催馬楽神楽の時と違って参拝者はマナーがよかったので、ゆっくりと見ることができた。

それと、

こちらが神社エールである。
ポスターは貼ってあったが、残念ながら高麗神社では販売していないとのこと。

高麗神社のここがすごい!

以前から参拝してみたいと思っていた高麗神社に参拝することができました。
やはり実際に参拝してみると感じるものがある。

超個人的に私が感じた高麗神社の印象だが、

商売っ気が強い

というのがあった。
高麗神社のホームページには活動の様子が載せられていたり、メルマガがあったりする。
毎月のように催しもある。
祈祷なども積極的のようで、社務所は混雑していた。しかし作業はシステマチックできびきびとしていてよい印象を受けた。
また神棚なども分かりやすく説明してあり、家に祀ることを勧めたりもしている。昨今は家に神棚を祀る家庭も少ないだろうから、高麗神社をきっかえに神棚を祀る家庭も増えるかもしれない。

神社で商売っ気を出すとは何事か!
と思われる方もいるかもしれないが、個人的には否定はしない。
それに商売っ気があるといっても、そこにはしっかりと節度があるように見えた。むしろ京都の寺社の方がひどい(賽銭箱に賽銭入れてねと貼ってあるし)。
むしろ神社だからといって、尊大な態度を取られる神職の方のほうが苦手である。(苦い思い出があるので)

そしてその節度のある商売っ気が、参拝客の多さにつながっているのではないでしょうか。

参拝したのは1月も半ばの日曜日で、初詣の時期も終わっただろうに参拝の列が出来ていた。
これは崇敬の篤さだけではなく、神職の方々の努力の賜物ではないだろうか。

高麗神社に参拝することで高句麗を始めとした当時の国々と、当時の日本の関わり方が少し見えて来たように思う。
そして現在の関東に渡来人が多く移住してきたことが、古代の関東の姿を紐解く鍵の一つになるのではないかとも思っている。

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