自由が丘の神社① 自由が丘にある熊野神社に参拝

自由が丘の神社① 自由が丘にある熊野神社に参拝

御祭神
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉之男尊(はやたまのおのみこと)
泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)

おしゃれな街、自由が丘。
私とは縁遠い街ですので普段は寄り付くことがないのですが、先日ちょっと近くに用事があったので、これ幸いと自由が丘を散策していきました。

もちろん神社を中心に。

おしゃれな街として有名な自由が丘ですが、意外にもしっかりとした神社がある街でした。
今回はおしゃれななかにも厳粛に佇む、自由が丘の神社のご紹介です。

自由が丘の他の神社に興味のある方はこちらをクリックしてください。




自由が丘にある熊野神社へのアクセス

〒152-0035 東京都目黒区自由が丘1丁目24−12
東急東横線 自由が丘駅から徒歩5分ほど

熊野神社のある方はおしゃれな店が並ぶなかに、意外と雑多な店が多かったりするぞ!

いざ、自由が丘の熊野神社に参拝

遊具の設置された参道を歩く

こちらが鳥居です。

都心だというのに緑の茂る境内です。
ちなみに鳥居の手前は、

自由が丘っぽいおしゃれな街並みがあったりします。

鳥居をくぐりると、やや長い参道があります。
本殿の手前には、

遊具が設置されています。
都心にあって子どもが広々と遊べる空間があるのはすてきなことです。

参道を進むと階段があります。
本殿(拝殿)は一段高いところに鎮座されているのです。

こちらの階段の右手に栗山久次郎翁の像があります。
自由が丘誕生の祖、とあります。

また、階段の右手の茂みに隠れるように由緒書きがあります。

中世から近世にかけて熊野詣でが流行していた際に、こちらの熊野神社も勧請されたのではないかということです。

熊野詣で。
なぜそれほど流行したのでしょうか?

本殿と摂末社と神輿殿

こちらが境内の様子です。
左手の社が本殿(拝殿)、右手の社が摂末社の伏見稲荷神社です。

こちらが自由が丘の熊野神社の本殿(拝殿)です。

私はあまり見たことのない社殿です。
建立当時の流行があったのか、それともモチーフにした神社があったのでしょうか。

左手に見える回廊は、おそらく舞殿の役割も果たすのだと思われます。
こちらの回廊はまるで宮中のようで美しい。

本殿(拝殿)の右手に摂末社の伏見稲荷神社があります。
御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と考えられます。
稲作の神様であり、現代だと商売繁盛の神様として崇められています。

伏見稲荷神社といえば京都の伏見稲荷神社から勧請されたと思われます。
京都の伏見稲荷神社といえば稲荷神社の総本社。
なぜ自由が丘の地の勧請されたのでしょうか。

ちなみにこちらの伏見稲荷神社の手水舎はよくよく見ると興味深かったりします。
参拝される方はぜひご覧になってください。

伏見稲荷神社の手前には御輿殿(おそらく)があります。

ずらりと並ぶ御輿殿。
ここまで整然と並ぶと壮観です。

自由が丘の熊野神社の本殿(拝殿)のご紹介

御祭神
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉之男尊(はやたまのおのみこと)
泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)

さて、
実は私は熊野神社の御祭神についてよく分かっていません。
それというのも、各熊野神社によって御祭神が違ったりするからです。

以前ご紹介させて頂いた新宿にある新宿十二社 熊野神社の記事を引用するなら・・・

【新宿十二社 熊野神社】

御祭神
櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)
伊耶那美大神(いざなみのおおかみ)

【熊野三山の御祭神】

熊野三山とは、本宮・新宮・那智各大社を指します。

それぞれの御祭神は、

熊野本宮大社 御祭神 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)=須佐之男命?

熊野速玉大社 御祭神 熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)=伊弉諾尊?

熊野那智大社 御祭神 熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)=伊弉冉尊?

とも、されています。
そもそも神仏習合の時代もあり、

熊野本宮大社 阿弥陀如来

熊野速玉大社 薬師如来

熊野那智大社 千手観音

でもあるそうです。
・・・一般的に須佐之男命は神仏習合の際は牛頭天皇と同一視されているはずなんですけどね?

このように、熊野三山(熊野神社)の御祭神は、今の私ではこれだと断定できかねます。
そもそもなぜ須佐之男命が家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)や神祖熊野大神櫛御気野命(かむろきくまののおおかみくしみけぬのみこと)といったお名前で呼ばれているのでしょうか?

新宿十二社 熊野神社のご紹介はこちらをクリックしてください。

【自由が丘の熊野神社】

伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉之男尊(はやたまのおのみこと)
泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)

上記の御祭神を熊野三山と照らし合わせてみると、

伊弉冉尊(いざなみのみこと)は熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)。

速玉之男尊(はやたまのおのみこと)は熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)=伊弉諾尊(いざなぎのみこと)?

と考えられます。

そうなると泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)=須佐之男命?となるのでしょうか???

・・・。
なんだか納得のいかない組み合わせです。

自由が丘の熊野神社の御祭神をある側面から見ると・・・

伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉之男尊(はやたまのおのみこと)
泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)

こちらの三柱の神様ですが、共通してある逸話に登場されるようです。

それは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が亡き妻を求めて行った黄泉の国の話です。

黄泉の国に関わりのある三柱の神様。
なぜそのような神々をまとめて祀ったのでしょうか?
気になるところではありますが、現時点では分かりません。

どのような経緯を持ってこれらの神様を祀ることになったのか?

神社というのはやはり不思議です。

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