平将門を調伏した?成田山新勝寺に参拝

平将門を調伏した?成田山新勝寺に参拝

御本尊
不動明王

成田山新勝寺。
このお名前を聞いたことがない方はいないのではないでしょうか。
関東在住の方であれば、一度は参拝したことがあるのでは?

と綴りつつ、実は私は成田山新勝寺に参拝させて頂いたことがなかったのです・・・。
いつかいつかと思い、今まで一度も参拝することがありませんでした。

というわけで、
以前より参拝したかった成田山新勝寺に参拝させて頂きました。

ですが、
今回の参拝は、ただ参拝したかった、というよりは、

成田山新勝寺と平将門の関係性

を知るための参拝でもありました。
そう、成田山新勝寺と平将門には深い深い、関りがあるのです。

全国的にもたいへん有名な成田山新勝寺。
そして坂東(関東)で名をはせた平将門との関係とは。

今回は成田山新勝寺と平将門の関係性を知る参考資料として、QED〜ventus〜御霊将門 (講談社文庫) [ 高田崇史 ]を参考にさせて頂きました。
あくまでも参考にさせて頂いただけで、高田崇史さんの考えを全面的に支持しているわけではありませんので悪しからず。
(QEDシリーズはおもしろいですよ)




成田山新勝寺へのアクセス

JR成田駅・京成成田駅から徒歩15~20分ほど

成田山新勝寺までの道は門前町となっていて歩いていて楽しいぞ!

いざ、成田山新勝寺へ参拝

JR成田駅、初めて降り立ちました。
成田空港には何度か行ったことがあるのですが、成田、に来たのは初めてです。

JR成田駅を降りてすぐ、成田山新勝寺へと続く参道が始まります。
道中には干支の石像があったりと和みます。
こちらの参道も年末年始はとんでもなく混み合うんでしょうね。

こちらが成田山新勝寺の境内図です。

JR成田駅から歩くこと15分ほどで、成田山新勝寺の総門に着きます。

成田山新勝寺のホームページの境内図はこちらをご覧ください。

総門をくぐった先にあるのが仁王門です。

仁王門をくぐると橋があります。
橋の向こうには石碑がいくつもあります。
運がよければ石碑を縫うように歩くねこの姿を見ることができます。
(だから何と言われたら言い返せませんけど)

橋を渡り、階段を上った先にあるのが大本堂です。

たいへん立派な大本堂です。
多くの方が参拝されるのも納得です。

大本堂の裏手には八大童子・三十六童子があります。

大本堂の右手に、三重塔や一切経堂があります。

こちらは大本堂と三重塔。

壮観です。

三重塔を下から見ると、

屋根の裏も美しい装飾がなされています。
あまり見えないところも美しく装飾するところに粋を感じます。

大本堂の裏手にある階段を上ると、光明堂があります。

本尊には大日如来が安置されている、とあります。
この本尊とは奥の院を指すのでしょうか?
光明堂には愛染明王とあり、かつ扁額のような箇所に明王が持つような剣の額がかけられています。

こちらが光明堂の裏手にある奥之院です。
立て札には
『不動明王の本地仏である大日如来が安置され』
とあります。

こちらの奥之院ですが、興味を惹かれる見た目です。
上手く表現できないのですが、まさに奥之院、秘密の空間といった印象を受けます。
また感覚的なものなのですが、古代中国にあったのではないかな、と思う見た目です。

さて、
光明堂の右手にあるのが清瀧権現堂と妙見宮です。

さらに奥に進むと、醫王殿と平和大塔があります。
手前が醫王殿、奥が平和大塔です。
どちらも新しい建造物で、中に入ることができます。

平和大塔の中は資料館になっていて、成田山の歴史や、市川團十郎や平将門調伏の展示などがあります。
また平和大塔の2階には不動明王と四大明王の像が安置してあります。
こちらの像はたいへん巨大で、鮮やかな着色がしてあり、見ると圧倒されます。
ただ、四大明王に踏みつけられる邪鬼の姿を見ると、いつもなんとも言えない気持ちになります。
四大明王に踏みつけられている邪鬼は、きっと自分のことなんだろうな、とか思ったりします。

成田山の鎮守、清瀧権現と地主妙見について超個人的に考察する

立て札に

「清瀧権現と地主妙見を合祀した当山の鎮守である」

とあります。

寺社好きの方は不思議に思われたのではないでしょうか?
なぜ、
成田山の鎮守が不動明王でも大日如来でもなく、
清瀧権現と地主妙見なのか?
と。

さらに寺社好きの方はこうも思ったのではないでしょうか?

なぜ、
平将門を調伏した成田山新勝寺の鎮守が、平将門が信仰した妙見様なのか
と。

その問いに対する一つの答えが、QED〜ventus〜御霊将門 (講談社文庫) [ 高田崇史 ]にあります。
(もっともそれを解とするかは人それぞれですけど)

さて、
成田山の所在地を見てみると、

現在の茨城県に近く、千葉県の我孫子市に近い場所にあります。
軽い誘導尋問ですが、現在の茨城県と千葉県の境、そして我孫子市の辺りは、平将門に縁が深い地域です。
平将門が治めていた、といってもいい気がします。

それならば、成田山のある地域も平将門が治めていた、といえなくもありません。
(勝手な想像です)

成田山が平将門の治めた土地に含まれていたのであれば、妙見様を祀るのも至極当然のことに思えます。
平将門は妙見様を信仰していたそうですから。

さて、
当サイトでは、神社の御祭神の変遷、について何度も触れています。
時の為政者の事情によって、神社の御祭神は変遷する、というものです。
(身もふたもない表現ですが)

それが成田山新勝寺で行われなかったという確証はあるのでしょうか。

もともと成田山新勝寺は、平将門に近しい寺だったのではないでしょうか。
しかし時代が成田山新勝寺に、平将門から背を向けさせたのかもしれません。

今回の考察もこれといった根拠のない考察ですので、本気にしてはいけません。

広告