高麗神社参拝① 野々宮神社と斎宮

出世の御利益があるかもしれない高麗神社に参拝

埼玉県日高市にある高麗神社

こちらの神社はたいへん珍しいといえる神社です。
以前からお名前は知っていて、一度は参拝したいと思っていたのですが、先日巫女舞が奉納されるとの情報を得て、ここぞとばかりに参拝してきました。

また近隣の寺社にも参拝し、思わぬ収穫を得ることもできましたので合わせてご紹介していきます。

高麗川にある他の神社に興味のある方はこちらをクリックしてください。
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高麗神社参拝ルート

野々宮神社 → 高麗川散策 → 高麗神社 → 聖天院 → 九万八千神社

スタートはJR八高線 高麗川駅

ゴールは西武池袋殿 高麗駅

ひたすら徒歩です。
高麗川沿いは穏やかで、歩くのも気持ちがよいところでした。
高麗川すてき。

高麗神社の前に、野々宮神社に参拝

御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
倭姫命(やまとひめのみこと)

高麗神社に参拝することが目的だったのですが、せっかくなので近隣の神社にも参拝していこうと思い立ち、googleマップを眺めていると・・・

野々宮神社を発見。
インターネットで検索すると・・・御祭神が興味深い。
これは参拝せずにはいられない。

ということで、野々宮神社にも参拝してきました。

高麗神社にほど近い野々宮神社へのアクセス

JR八高線 高麗川駅から徒歩15分程度


バスはおそらくない。

野々宮神社のご紹介

御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
倭姫命(やまとひめのみこと)

こちらが本殿。
屋根の形からも天津神を祀っていることが窺えます。

簡素な社に見えますが、実際はしっかりとしていました。
また管理もしっかりとされているようで、きれいに保たれていました。
おそらく右手にある建物が社務所です。(もちろん写真はない)
地域の集会所的な感じもありました。

こちらを見てこう思われた方もいるかもしれません。

「鳥居がない!」

はい、私も思いました。
鳥居がない神社は浦和の調神社のように、ごくわずかな神社だけと思っていたのに。

まあ実際は参道の入り口に鳥居はあるみたいなんですけどね。
私が正面から入ってこなかったので気がつかなかっただけです。
なのでもちろん写真はない。

こちらの野々宮神社ですが、境内に興味深いものがいくつかあります。

はい、分かりにくいですが土俵です。
江戸時代にこちらで奉納相撲が行われていたようです。

こちらもまた分かりにくいですが、力石です。

そして由緒書き。

なんと右側にはハングルで書かれています。
さすが高麗川。
ここにも高句麗の姿が垣間見えます。
(高麗川と高句麗との関係は高麗神社のご紹介の際に説明します)

こちらが左手の日本語部分。

一部抜粋しますと、

『当社は、伊勢神宮に仕える斎宮(さいぐう・いつきのみや)に選ばれた皇女、女王が身を清めるため1年間こもった嵯峨の野宮(ののみや)神社の分社であると考えられています。
また、社蔵文書には「当社高麗王(こまこきし)の尊霊を祀る」との記述がみられることから高麗郡の設置や高麗王若光(こまこきしじゃっこう)との関係がうかがわれます。』

とあります。

嵯峨の野宮神社といえば、黒木鳥居が有名です。
京都の嵐山にある渡月橋から近く、あの有名な竹林のところにあります。
私も一度参拝させて頂いたことがあります。
もちろん写真はないのですが・・・。

さて、
こちらの野々宮神社のお名前から、嵯峨の野宮神社を連想できましたか?

ちなみに私はまったく思いもしませんでした。
ですので参拝して由緒書きを見たときは「おおぅ」とアザラシのような声を上げたものです。

ちなみに

本殿(拝殿)の左手にはこのようなものもあります。
ここにも、
「嵯峨の野宮の分祀と思います」
とあります。

野々宮神社に参拝を決めた理由は、御祭神が天津神よりだったから、なんですよね。
天照大御神は日本各地に祀られているので、高麗川に祀られていてもおかしくはありません。
ですが、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が埼玉(武蔵の国)の神社に祀られているのは珍しい気がします。
また猿田彦命(国津神ですが)が祀られているのも理由があるように思えます。

そして倭姫命(やまとひめのみこと)。

こちらの野々宮神社が嵯峨の野宮神社の分社だとするならば、
なぜ斎宮である倭姫命を高麗川の地に祀ったのでしょうか?

野々宮神社の御祭神

天照大御神

天津神の代表といえる神様。
伊勢の神宮に祀られている。
武蔵一宮氷川神社などに祀られている須佐之男命のお姉さんであり、天孫降臨で有名な瓊瓊杵尊のおばあさんでもある。
日本人の総氏神とされていて、また天皇家の祖神でもある。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

天照大御神の一大プロジェクトである天孫降臨(高皇産霊尊(たかみむすび)が主導したという説もある)によって地上に降り立った高天原の神様(=天津神)。

猿田彦命

瓊瓊杵尊が天孫降臨をされた際に、先導役(道案内)を務めた神様。
そのことから、国津神であるが天津神と関係が深い神様。

倭姫命(やまとひめのみこと)

垂仁天皇皇女
日本武尊(やまとたける)の叔母さんにあたる。
伊勢の神宮の斎宮。

斎宮とは

伊勢神宮の祭神に仕える未婚の皇女または王女。斎王,御杖代 (みつえしろ) ,「いつきのみや」ともいう。崇神天皇の代,皇女トヨスキイリヒメノミコトが大和笠縫邑にアマテラスオオミカミを祀ったのに始る。天皇の即位ごとに新任された。 75代続き,後醍醐天皇の皇女祥子内親王を最後として,以後廃絶した。
コトバンクより引用)

野々宮神社の御祭神を考察する

今回の高麗川(日高市)にやってきた主目的は高麗神社への参拝です。

こちらの高麗神社、高麗という字からも分かるように、かつて朝鮮半島にあった国、高句麗から来ています。
高麗神社がある辺りは、その高句麗から渡って来た人々によって開拓された土地とされています。
ゆえに高麗神社があり、高麗神社の御祭神は高麗王若光なのです。

つまり現在の日高市辺りは高麗王若光の治めていた土地だと言えます。

その高麗神社から高麗川を挟んだところにあるのが、今回ご紹介させて頂いた野々宮神社です。
そして御祭神は天照大御神や瓊瓊杵尊といった、芦原中つ国=日本を統治したとされる神々です。
なぜ高麗神社の近くに天照大御神や瓊瓊杵尊を祀ったのでしょうか?

また、なぜ野々宮神社(野宮神社)としたのでしょうか?
天照大御神や瓊瓊杵尊を祀ることだけが目的であれば、他にも適した神社はあったのではないでしょうか。
野々宮神社としたのは、倭姫命をこの地に祀る必要があったのでしょうか?

また、なぜ猿田彦命まで祀られているのでしょうか。
かつて瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に芦原中つ国の案内を務めたように、高麗川までの道案内も務めたのでしょうか。

また、興味深い点として、野々宮神社の近くに猿田(やえんだ)という地名があります。

これはただの偶然を、私の脳がこじつけたがっているのでしょうか。
それとも高麗川の地に、猿田彦命のお名前が残るほどの理由があったのでしょうか。

実際に野々宮神社を参拝してみると、様々な疑問が生じました。
妄想とも言えるんですけど。

疑問が生じたからといって謎が解けるわけでもないのですが、やはり実際に参拝してみると想像が広がります。

この後ご紹介する高麗神社や、高麗川沿いの散歩道など、高麗川周辺は魅力があります。
一度参拝されてみるのも、おもしろいかもしれません。

野々宮神社の摂末社

特潜神社

本殿の裏手にある。
御祭神は不明。
特潜というお名前を聞いたことがなかったので、google検索してみるも満足な検索結果を得られず。
『特潜』からか、潜水艦が多数検索結果として出てきた。

どのような由緒を持つ神社なのでしょうか。
小脇に刀(模造刀?)があったり、特潜が潜水艦を連想させたりと、もしかしたら戦争を悼む神社なのかもしれません。

山神

山神神社なのでしょうか。
『山神』とだけありました。
山神神社だとすれば御祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)でしょうか。

確かに高麗川も山の多い土地です。
日和田山が人気があって有名です。

天神社

こちらは野々宮神社を出てすぐ近くにあります。
野々宮神社の摂末社ではないと思いますが、この場でご紹介です。

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